2010年10月29日金曜日
歴史小説家
去年(2009年)秋、いわきの総合雑誌「うえいぶ」(42号)の巻頭に歴史小説家・乾浩さんのエッセーが載った。「北海道開拓に命を懸けた詩人猪狩満直と医師関寛斎の心」がタイトルだった。
その1年前、水戸の知人から電話があった。知人は乾さんとは、大学の先輩・後輩の間柄(そのことは先日、二人と酒を酌み交わして分かった)。
乾さんが歴史小説『斗満(トマム)の河 関寛斎伝』を出した。関寛斎は戊辰戦争のとき、官軍の「奥羽出張病院頭取」、つまり野戦病院長として平潟~磐城平で傷ついた兵士の治療に当たった。その人間が、73歳になって北海道開拓を志す……。寛斎の晩年に焦点をあてた小説といってもいい。
ついては、いわきの人たちにその本が出たことを知らせてほしい――知人にいわれて、いわき総合図書館の本をネットでチェックした。あった。が、常に借り手がいて、本を読んだのはずいぶんたってからだった。読んだ感想は2009年1月25日の当ブログに書いた。
その縁もあって、知人を介して「うえいぶ」にエッセーを依頼した。それからほぼ1年がすぎた。知人と二人でぜひ、いわきへ――といっていたのが、10月中旬に実現した。
いわき駅前再開発ビル「ラトブ」の1階で待ち合わせ、4、5階のいわき総合図書館を巡ったあと、いわきニュータウンの「暮らしの伝承郷」へ足を運んだ。
伝承郷には、乾さんが「うえいぶ」のエッセーで触れた猪狩満直の生家が保存されている。庭には満直の詩碑もある。生家と詩碑をぜひとも見てほしかったのだ。詩碑をデジカメに収めている姿を撮影した=写真。
その夜は3人で夏井川渓谷の無量庵に泊まり、翌朝、いわき市立草野心平記念文学館を訪ねた。副館長は鉱物が専門(10月27日の当ブログ「コピアポ石」は彼の示唆による)だが、関寛斎の研究者でもある。私はそこで別れた。二人はそのあと、副館長の案内で平の市街地に戻り、戊辰戦争のとき、野戦病院となった寺を見た、ということである。
乾さんは北海道を舞台にした歴史小説を書いている。その延長で、北海道の猪狩満直のことを小説に書いてくれないものか――。図書館と伝承郷、文学館を見てもらったのは、そんな思惑がはたらいたからかもしれない。
が、それよりなにより総合図書館はいわき市民の誇り、そのことを知ってほしい、その一念で案内した。郷土資料コーナーに目を見張り、いつかまた図書館を訪れたい――乾さんは率直に語った。
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