2014年12月3日水曜日

日曜木こり

 夏井川渓谷の隠居(無量庵)は、庭が小さな分校の校庭くらいある。元は畑で、義父が業者に頼んで山側の半分に石垣を築き、盛り土をして二段の敷地にした。今は、下の敷地は地主に返した。が、放置しておくとたちまちススキやヨシに覆われる。防災、景観面から好ましくないので、年に一度はわが家の近所の造園業者に頼んで草刈りをする。

 その下の敷地、谷側の境界にこの20年でヤブができた。前はただの畑の土手だったのが、草刈りをしなくなったためにササが茂り、木が生えた。その木が生長して生け垣のようになった。

 アカヤシオの花が咲く春と紅葉の秋、行楽客が下から敷地に入り込まなくなったという点ではプラスだが、岸辺の景観が隠されるという点ではマイナスだ。

 秋に草刈りをしたとき、業者に木々の伐採費用を見積もってもらった。10万円以上になった。これは自分でやるしかない!というわけで、カミサンが“日曜木こり”を始めた=写真。なんで男がやらないのか? 2年前に体調を崩して以来、ちょっと体を動かすだけで息が切れる。昔は陸上をやっていたというのに。

「週に1本」のペースで続ければ、春にはヤブが消える。<オレもやらねば>と日曜日(11月30日)、初めて木を切った。のこぎりはカミサンが使っている。私はナタを使った。幹の径は7センチほどだが、ナタでバシッ、バシッとやっているうちに、てのひらが痛くなり、ハアハアいうようになった。♪与作は木をきる ヘイヘイホー……なんてわけにはいかない。

 木にはクズが何重にも巻きついている。それらのつるで、切っても木が宙に浮かんでいる。つるを切り、枝を払って転がすだけでも一仕事だ。

 あらためて思ったものだ。農村や山村の景観が美しいのは、ふだんから人間が家の庭を手入れし、田んぼのあぜ道や生活道路の草刈りをしているからだ。

 私らのように週末だけ現れて、ちょっと汗をかく――だけでは間に合わない。一気にきれいにしようとすると息が上がる。毎日、少しずつ。景観は、農山村では享受するものではなく、維持するもの。「傍観者」ではなく「当事者」が努力して守っているものだ。

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