2017年3月28日火曜日

山里の防風ネット

 いわき市の在来小豆「むすめきたか」の話を聴きに、三和町渡戸の生産者Sさん宅を訪ねたときのことだ。家の裏の畑に青いネットが張られていた=写真。Sさんのご主人に聞くと、イノシシではなく風よけだった。
 北西から南東へ好間川が流れている。両岸に山が迫る。川に沿って、帯状に延びている谷底平野=田畑の一角にSさんの屋敷がある。川の対岸、国道49号を車が行き来している。田畑のあるあたりで標高300メートルほど、そばの山は400~450メートルくらい。V字谷に比べれば谷底も空も広い。

 福島県は西から会津・中通り・浜通りに三分される。地形と気象、つまり風土の違いが根っこにある。冬、湿り気を帯びた冷たい空気が日本海を渡って来て越後山脈にぶつかり、ついで奥羽山脈にぶつかって、越後と会津に大雪をもたらす。中通りにも雪を降らせる。阿武隈高地を超えるころには、冷たいカラッ風になっている。浜通りのいわきが「サンシャインいわき」といわれるゆえんだ。

 渡戸の好間川流域は、まさしくこの北西の季節風の通り道だった。Sさんの自宅裏には、樹種はわからないが針葉樹が2階の高さにまで“壁”になっていた。畑の防風ネット、家の防風生け垣。同じ地域であっても気象との付き合い方が異なる。いわきの平地と山地とではなおさらだ。

 冬の三和町は、川端康成の小説「雪国」の書き出しと同じく、平側から国道49号のいわき三和トンネルを抜けると雪国になる。近年、好間川の下流側にいわき水石トンネルができた。Sさんの家は二つのトンネルの間にある。その意味では、一帯は雪が降っても三和トンネルの先の雪国ほどではない。

「三澤地理学」というのがある。三澤とは戦前、長野県の小中学校で教鞭をとった三澤勝衛(1885~1937年)のことだ。人が拠って立つ生活圏でもある風土を知り尽くすことが自然を活用した産業を育成する基礎になる。田1枚、あるいは畑1枚でも土壌や風や日照量が異なる。その環境に適した作物を選べ――というのが「三澤地理学」の本質。防風ネットと防風生け垣から思い出した。

 いわき総合図書館に『三澤勝衛著作集 風土の発見と創造 全4巻』(農文協)がある。昔からの暮らしを大切にする、あるいは片田舎の暮らしを見つめる、そういうことに関心を深めている若者にはぜひ読んでもらいたい本だ。

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