2017年3月17日金曜日

磐城産のマンボウ

 このごろ、いわきの伝統郷土食や昔野菜について聞かれることが増えた。「『いわき市伝統郷土食調査報告書』の話ならできますよ」と答えることにしている。 
 これまでにも何度か拙ブログで書いてきたが、同報告書は平成7(1995)年、市が刊行した。市観光物産課(当時)がいわき地域学會に委託し、歴史や民俗に精通している故佐藤孝徳さん(江名)が中心になって調査した。私は「そうめんのひやだれ」(山田町)の調査に加わったほかは、編集・校正を担当した。
 
 いわきはハマ・マチ・ヤマに分けられる。食文化もそれぞれの土地の産物と結びついている。いわきの食文化の特色は、なんといってもハマの料理が多彩で豪華なことだ。同報告書には写真とレシピ、コラム(ひとくちメモ)があって、いわきの食文化史的理解を助ける。読み物としてもおもしろい。

 ハマ以外ではなじみのないものにマンボウ料理がある。ハマでは夏の風物詩だという。①刺し身にして醤油で食べる②生の肝臓と味噌をまぜあわせたタレに刺し身をつけて食べる(肝み)③肝臓と味噌とをあぶり、刺し身をかきまぜてまたあぶって食べる(油げ)④ウキキ(腸)を塩に漬けておき、焼いて食べる――。佐藤家でマンボウの刺し身を食べたことがある。少しおくと水っぽくなったのを覚えている。
 
 報告書には「まんぼうの油げこっぱの酢みそ」「まんぼうの肝みと刺し身」「うききの粕漬」――の三つが収められた。「うききの粕漬」は磐城平藩を治めていた内藤家が将軍に献上したことで有名だ。分家の湯長谷藩の献上品リストにも入っていた。
 
 先日、福島県歴史資料館から「福島県史料情報」第47号が届いた(4カ月に一度、2・6・10月に発行されている)。なかに、「佐竹永海が描いた磐城産のマンボウ」の記事があった=写真。筆者は地域学會の会員でもあるWさんだ。
 
 嘉永3(1850)年、国学者山崎美成(よししげ)が5巻5冊の随筆集『提醒紀談』を刊行する。挿絵の多くは、会津生まれで彦根藩の御用絵師佐竹永海(1803~74年)が描いた。その一つに、マンボウの外形と皮をはいで肉や内臓を描いた「牛魚全図」がある。「牛魚」はマンボウのこと。
 
 マンボウは、ほかに「満方」「満方魚」「万寶」と表記され、「ウキキ」と呼ばれて「浮亀」「浮木」などとも書かれたという。見出し以外に「磐城産」の文字は出てこないが、江戸時代、マンボウといえば磐城産で通っていたのだろう。

 マンボウの絵に刺激されて、報告書の「うききの粕漬」のレシピを読む。①腸をよく水洗いして切り開き、包丁で内部をかき取る②ある程度の大きさに切って塩をまぶし、漬けておく③塩漬けした腸の塩を抜き、酒粕に漬ける④焼いて食べる――とあった。一度は食べてみたいものだが……。

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