2017年3月19日日曜日

『いわき地方災害史』

 本棚を整理していたカミサンが「これ、いるの?」と聞く。「捨てるよ」という合図だ。渡されたモノは『いわき地方災害史 1295年~1976年』=写真。表紙は手書きのガリ版刷り、本文はやはり手書きの青焼きコピーだ。「いわき災害問題研究会」が発行した。どこかにあるはずと、原発震災後、ずっと探していた資料集だ。 
 昭和53(1978)年6月12日、「宮城県沖地震」が発生する。それを機に、有志による研究会が生まれた。大学の先生を招いて「宮城県沖地震に学ぶ」講演会を開いた。その延長で、いわき市の災害の歴史をまとめた――と、発刊のことばにある。

 宮城県沖地震が起きたときのことは鮮明に覚えている。市役所担当の記者だった。1階北側に公害対策課があった。5時に仕事が終わり、退庁するまでの15分間、職員は将棋をやったり、おしゃべりをしたりして過ごす。私もおしゃべりの輪の中にいた。

 間もなく退庁時間というときに激しい揺れがきた。テーブルの上の水槽から水がこぼれる、窓の外の電線が波打つ――。水槽は、15歳のときに寮で一緒だった高専の同期生(のちに市議・県議)のもので、メダカか何かを飼っていた。
 
『いわき地方災害史』は、同期生とは別の課の職員からもらったか、カンパをして手に入れた。知り合いの若手職員が何人か研究会に加わっていたように思う。発行年月日は記されていないが、宮城県沖地震から2~3年後にできたのではなかったか。

 3・11後に思ったのはひとつ。「いわきの災害史」研究が不十分だった。危機感が希薄だった。『いわき地方災害史』を基礎データにして調べ直さなくては――。

『いわき地方災害史』には、永仁3(1295)年6月15日の「ひょう害」から昭和51(1976)年11月1日の火災まで、地震・津波・暴風雨・水害・飢饉・霜害・高潮・高波・陥没・流行性感冒・漁船遭難・炭鉱火災・イナゴ襲来・炭鉱ガス爆発・坑内出水・落盤・伝染病など、自然災害・人災が網羅されている。

 研究者でなくともできることがある。大正12(1923)年11月以降なら、あらかた、いわき市立図書館のホームページにある「郷土資料のページ」(新聞)を開いて、災害の様子をなぞることができる。『いわき地方災害史』をめくりながら、そのときの新聞記事を読んで原因や背景などについて思いを巡らせる。「古新聞」は、少なくとも「参考資料」としては役に立つ。

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