2017年12月20日水曜日

「一本の草のために」

 吉野せいの短編集『洟をたらした神』に収められている「水石山」を読み返しているうちに、これはせいと夫(三野混沌)との“文学談議”ではないかと思った。昭和30(1955)年11月秋のこと、と末尾にある。
「十一月の晴れた朝」というから、小春日だった。せい56歳、混沌61歳。朝、せいは水石山を眺めているうちに登ってみたくなる。夫が寝泊まりしている梨畑の小屋の前で声をかける。「かぜをひいたから、今日は駄目だ」

 せいは家をとびだす。気持ちは水石山に引かれながらも、隣町へ向かっていた。内郷の新川沿いをうろうろしたらしい。そのあと、「町へ出て」とあるから、平のどこかの魚屋へ行ったのだろう。サンマを買って、バスにも乗らずに、日が沈む前に帰宅した。子どもたちは焼いたサンマを喜んで食べた。

 混沌は、せいがとびだしたことにただならぬものを感じた。「ひょっとすると二度とあの足音がきけねえんでねえかと思った」。せいを探しに行く。宵に混沌が戻ってきてからの、二人の対話のなかでせいがつぶやく。「ああ、『老人と海』が読みてえよ」

 それから15年後の昭和45年。混沌の新盆のあと、家族みんなで水石山へドライブする。山頂の芝生にナデシコが咲いていた。それを、観光に来たどこかの娘たちが屈託もなくむしり取っている。せいは昔読んだボルヒェルトの短編小説「たんぽぽ」を思い出す。

「毎日30分の運動にひき出される死刑囚人が、ある日通路の傍にみつけた一輪のたんぽぽの黄色、ああこれは生きている。自分よりもきっと長く生きつづけられるだろう。憎らしいほど羨ましいけれど、何で又こんな場所をえらんでいじらしく咲いたのだ。俺の前をつながれて歩いてゆくなかまたち、どうかよろけてあの花を踏まないでくれ」

 ボルヒェルトはドイツの作家で、第二次世界大戦直後のわずかの間に、詩と短編小説を書いて27歳で夭折した。小松太郎が日本語に翻訳して、早川書房から『ボルヒェルト全集』を出したのは、昭和28(1953)年。そのとき50代半ばにかかっていたせいは、同時代の若い作家の作品をだれかに借りたかして読んだのだろう。ヘミングウエイはともかく、ボルヒェルトはよく知らなかった。

 ボルヒェルトとは別に、地面に生えた一本の草のために決闘して死んだ若者の物語がある。ピランデッロの「使徒書簡朗誦係」。かつて、加藤周一が朝日新聞に「夕陽妄語」というタイトルで月に1回連載していた。そのなかで紹介していた。
 
 せいの文章に刺激されて総合図書館へ行って探したら、あった。『夕陽妄語3』と『月を見つけたチャウラ』=写真。「たんぽぽ」を収めたボルヒェルトの本は常磐図書館にある。いずれ、図書館ネットワークのなかで取り寄せてもらうか、直接常磐図書館へ行って借りるかしよう。

 一本の草のために、花のために、人はいのちをかける――。私はそこまでいかないが、似たような経験をしたことがある。あるところにノビルのむかごをまいたら芽が出た。毎朝、生長を楽しみにしていると、どこかの車が入ってきてノビルを踏みつぶした。悲しみと怒りで気持ちがよじれたものだった。

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