2017年12月4日月曜日

徳川家康の戦略

 日曜日は、午後5時すぎには買ってきた刺し身をさかなに、テレビをつけて晩酌を始める。5時半・「笑点」、6時・大河ドラマ「おんな城主直虎」。笑点は地デジ、大河ドラマはBSプレミアムで。あとは、カミサンにテレビのリモコンを渡す。 
「おんな城主直虎」はこのところ、徳川家康中心の展開だ。織田信長の圧力で家康は息子と奥方を殺し、首を信長にさしだす。それでも信長は家康をつぶそうとする。きのう(12月3日)は、その緊張状態がピークに達した。

 家康も亡き者にしようという信康の遠謀を知った直虎が家康に会う。二人のやりとりに、思わず感情移入をしてしまった。戦いが続くこの世が嫌いだ(家康)、家康のもとで平和の世を見たい(直虎)――戦国時代を終わらせなければ、という2人の思惑が一致する。

 実はおととい(12月2日)、「おんな城主直虎」の時代考証を担当した静岡大名誉教授小和田哲男さんが、いわきで講演した。演題は「徳川家康の戦略――関ケ原の戦いから大坂冬の陣・夏の陣まで」。上廣(うえひろ)倫理財団が主催し、いわき地域学會が共催した。

 同財団がいわきで歴史・文化フォーラムを開くのは今年で5回目。前半・講演のあと、後半は夏井芳徳地域学會副代表幹事が聞き手になって小和田さんとトークを展開した。伊達藩に備える北の砦としての磐城平藩に、家康は譜代大名を配した。主に磐城平城のつくりが話題になった。

 講演では、小和田さんは豊臣秀吉との関係から大坂冬・夏の陣までの展開を解説し、長い戦国時代に終止符を打った人物として家康を語った。夏の陣が終わると「慶長」から「元和(げんな)」に改元し、いわゆる「元和偃武(えんぶ)」を実施する。偃武は武器を倉に収めること、つまりは家康の究極の目標は「平和」にあった、そのための戦略だった、ということだろう。
 
 家康の事績を知り、内面を想像し得る講演を聴いたばっかりに、今年(2017年)の大河ドラマは単なる戦国ものではなく、「平和」を希求したものだったと、ようやく合点した。最終回まであと2回、そこが強調されるにちがいない。

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