2017年12月15日金曜日

「明治維新150年」だと?

 来年(2018年)は戊辰戦争から150年の節目の年というのが、戦場になった土地の人間の感覚だ。が、福島県内のどこのマチだったか、「明治維新150年」で何かイベントをやるというニュースをテレビが伝えた。明治維新? おいおい――と、少し胸がざわついた。
 今年、いわき市では1年前のプレ事業として戊辰戦争を振り返るイベントが続いている。いわき地域学會も勤労感謝の日(11月23日)に、「笠間藩神谷(かべや)陣屋と戊辰の役」をテーマに巡検を実施した=写真(陣屋跡の小学校を見る)。2日後の「いわき学博士号授与式」でも戊辰戦争関連の記念講演を行った。

「勝てば官軍、負ければ賊軍」のならいでいえば、戊辰戦争150年をいうのは負け組、明治維新150年は勝ち組か、戦いとは無縁のところだろう。県内の活字メディアもシリーズで戊辰戦争を振り返り、ニュースにはわざわざ「ワッペン」を付けている。

 慶応4(1868)=戊辰の年、新政府と佐幕諸藩の戦いが鳥羽伏見から江戸、奥羽へと拡大する。磐城平藩など奥羽越25藩が列藩同盟を結ぶと、新政府は大軍を北へさし向けた。笠間藩は新政府軍についた。神谷陣屋はたちまち四面楚歌に陥った。結果的には勝ち組に入ったとはいえ、隣の磐城平藩とは仲良くやっていたはずだから、陣屋の藩士たちは内心複雑だったにちがいない。

 わが家はたかだか神谷歴40年前後にすぎないが、土地の歴史を知るにつれ、明治維新150年より戊辰戦争150年を強く意識するようになった。

 おととい(12月13日)、若い人が訪ねてきた。意識は戊辰戦争150年の方だ。「明治維新150年は○○市でしょう」。あとで「明治維新150年」で検索すると、○○市のほかに水戸市、鹿児島市がヒットした。「戊辰戦争150年」はさすがに奥羽越に多い。なるほどねぇ――。
 
 戊辰戦争を経て維新後はさらに、「富国強兵」政策が待っていた。私の偏見だが、「富国」を担ったのは西日本の人間、「強兵」を強いられたのは東日本の人間。万葉の時代の「防人(さきもり)」以来、みちのくの人間が厳しい戦線に立つという構図は今も変わっていないのではないか。戊辰戦争150年では、みちのくの人間として不戦の誓いでも立てようか。

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