「150年ぶりに、泉に除夜の鐘の音が響きます」。カオス*ラウンジ新芸術祭2017市街劇「百五〇年の孤独」と銘打った展覧会の主催者の一人、E君が前に言っていた。あまり唐突なので、最初は事態がよく飲み込めなかった。「住民への周知は?」「区長さんに話して了解をもらい、回覧チラシで知らせました」という。
大みそか、つまりきょうの真夜中、いきなり鐘が鳴り出したら、「何事?」と110番をかける住民がいないともかぎらない。同展実行委員会はそんなことも想定して、周到にコトを進めている。地元の人たちに自分たちの考えを説明し、納得してもらったうえで「市街劇」を展開しているのだ。こうした現実的な手続き、積み重ねを知れば応援しないわけにはいかないではないか、という気持ちになる。
どこで鐘を撞(つ)くのか――。第三会場の「子安観音」だという。JR泉駅の北側にあるzitti(ジッチ)が第一会場、駅南側住宅街にあるMさん宅の離れ・密嚴堂が第二会場だ。
第三会場は駅の北方、高台の泉ケ丘とふもとの玉露地区を直結する斜面の中腹だ。廃仏毀釈で生蓮寺というお寺が破壊された。その境内にあった玉露観音堂(子安観音)は残されたが、これも土砂崩れで二度倒壊、再建されたものだという。
第一会場でE君と顔を合わせ、偶然見に来た旧知のY君と第二会場へと駅舎をまたいで歩いたあと、また駅裏へ戻った。E君がそこで車を出してくれた。Y君はともかくほんとのジッチには、これ以上歩くのはきついと判断したのだろう。車に乗って住宅街を抜け、泉を含む農業用水、小名浜の飲料水・工業用水に利用されている鮫川堰用水路を渡って狭い坂道を上ると、墓地に出た。元の墓のほかに寺の跡も墓になったようだった。
観音堂の境内に真新しい鐘撞き堂があった=写真。中に銀色っぽい鐘がつるされている。鐘の制作者がいた。アルミ缶1万5千個を拾い集め、それを溶かして鋳造したものだそうだ。1年前は制作者の住む茨城県取手市の住宅地で除夜の鐘撞きに利用されたとか。「このやぐらは?」「私がつくりました。どうぞ撞いてみてください」というので、軽く撞くとわりと高い音がした。
観音堂内では、アルミ缶を溶かして鋳造するまでの動画が流されていた。それを見ながら、また質問する。アルミ缶を溶かす過程で不純物(缶表面の模様など)が表面に浮き上がってくる。それを除去しないと、鐘に小さな穴が開いたりするのだという。「鍋物のアクをとるのと同じだね」「そう、そうです」。アクを取らないといい鐘はできないのだ。
市街劇は同時進行・未来進行形でもある。きのう書いた密嚴堂では、堂主が夕べ、修行を終えて高野山から帰宅したらしい。今夜は10時から元日0時半まで子安観音の「除夜の鐘撞き」が行われる。
観音堂のそばには上の泉ケ丘の住民が泉駅方面と直行できるように手すり付きのコンクリート段が設けられている。上からも下からも鐘撞きに出かけることはできる。玉露は「150年の奇跡」のなかで新年を迎える。
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