2017年12月30日土曜日

新芸術祭「百五〇年の孤独」②密嚴堂

 カオス*ラウンジ新芸術祭2017市街劇「百五〇年の孤独」と銘打った展覧会は、JR泉駅の北側にあるzitti(ジッチ)が第一会場だ。そこから自由通行の駅舎2階を利用して駅前へ――。 
 住宅街に第二会場・密嚴堂がある=写真上。入り口は竹林を思わせるデザイン。間にしめ縄を飾った竹の鳥居、出入り口付きの土壁がつくられた。これらも作品だ。奥の密嚴堂は軒が竹の笹で飾られている。竹林もそうだが、建物もいい雰囲気だ。密嚴堂の内部は、居間が二つ。東側の部屋には「地獄」=写真下=が描かれ、西の部屋には床の間に大日如来の掛け軸、つまり「密嚴」(浄土)が表現されている。
 
 泉藩の廃仏毀釈について、1年間現地調査をした展覧会主催者側の1人、小名浜のE君の案内で見て回る。展覧会を企画・演出した美術批評家黒瀬陽平さんが、zittiから密嚴堂に移動していた。E君の話を聞き、黒瀬さんの文章を読んで感じたのは、「事実は小説より奇なり」ということだ。
 
 密嚴堂の持ち主は元警察官のMさん。Mさんは泉に寺をつくろうと、定年退職後、高野山で修行に入った。一時帰郷した今年(2017年)9月、E君らはMさんに会う。「一緒に寺をつくらせてください」。両者は意気投合し、お堂にするつもりの離れを会場に提供した。
 
 Mさんにいわれたのは二つ。本尊はMさんが所有している胎蔵界の大日如来の白描画にすること、寺の名前は密嚴堂とすること。あとはE君らにまかせた。
 
 この実話は、前にE君から聞いていた。すごい話だな――。そのときにも人間のドラマの妙を感じたものだが、実際に現場を見ると、想像していた何倍もの感動に包まれた。
 
 来年の戊辰戦争150年を前に、廃仏毀釈に「百五〇年の孤独」を見た若者たち。お堂を開くことにしたMさん。両者の思いが、調査~出会い~イベントに結実するなかで、お堂を“共創”するところまでいく。しかも、Mさんはこの日、修行最後の日。なんというシンクロ性だろう。密嚴堂の話だけでも「百五〇年の孤独」を企画した価値がある。
 
 帰宅していわき地域学會図書の『藤原川流域紀行』所収・水沢松次「泉の石仏」、『鮫川流域紀行』所収・佐藤孝徳「泉藩の廃仏毀釈」を読む。それぞれに「廃仏毀釈の今」を書いている。2人が生きていたら、どう反応したろうか。

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