2010年4月2日金曜日

自然という書物


デンマークの「人魚姫像」が、万博の開かれる中国・上海へ旅立つテレビニュースを見て、いよいよ行くかという感慨を抱いた。

1年前の3月、コペンハーゲン市議会が賛成多数で「海外への初めての旅」を決めた。その年の秋、たまたま北欧を旅行した。「人魚姫像」が万博でのデンマーク館の目玉になる話を聞いた。デンマークの世論は二分されているのを知った。それについてとやかく言う資格はない。単なる旅行者として旅をし、あれを見、これを見ただけだ。

帰国後、アンデルセンの童話を読み返している。最初読んだのは、宮沢賢治にのめりこんだあとの20代前半。独身時代のことだ。ざっと35年の空白はある。

幼少年期には本と無縁な人間だった。そのころに賢治やアンデルセンの作品を読んでいたら、もっと受け止め方が違っていただろう。少年でなかったからこそ、「残酷性をたたえたリアルなメルヘン」という受け止め方ができた。

『アンデルセン自伝――わが生涯の物語』(岩波文庫)をちょうど読み終わるころ、「人魚姫像」の旅立ちのニュースを知った。

『自伝』の中で一番印象に残った文章がある。その前に、「わが生涯の物語」を書いた家を紹介したい。コペンハーゲンのニューハウンにある家並み、ワイン色の建物の、窓の下にプレートのあるところがそれだ=写真。そこにアンデルセンは住んでいた、というので、写真を撮った。

で、『自伝』の文章だ。上流家庭に出入りするようになって、夏は彼らの別荘の客になった――。「私は一人きりで思うぞんぶん田園生活に、自然に、森の静寂に身をゆだねることができた。私ははじめてデンマークの自然にしたしんだ。こういう環境で私の童話の大部分が生れたのである」

アンデルセンは『自伝』でこうも言っている。スウェーデン旅行から帰ったあと、彼は熱心に歴史の勉強をし始める、外国文学にも親しむ。「しかしながら、最も心を引きつけ深い印象を与える本は、自然という書物である」

「自然という書物」を読む――という考え方がすばらしい。それは、たとえばデカルトが言った「世界という書物、現実という書物」とイコールだろう。アンデルセン童話の魅力の「根源」を知って、さすがだと思った。

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