2010年4月22日木曜日
いちめんのなのはな
いつも散歩する夏井川の堤防の菜の花がパッとしない。いわき市北部浄化センターのソメイヨシノが満開になるころ、目前の土手や河川敷の菜の花も満開になる。いや、黄色いじゅうたんが広がったところへ、淡いピンクの幕が張られて好一対をなす――。ところが、今年は桜が先行した。菜の花は散発的に咲いているだけだ。どうしたのだろう。
日曜日(4月18日)にたまたま平に隣接する好間(よしま)を通った。道路沿いに菜の花畑があった=写真。道行く人に花を楽しんでもらおうということに違いない。満開だった。思わず山村暮鳥の詩を口ずさんでいた。言語実験詩集ともいうべき『聖三稜玻璃』(大正4年発行)の中にある「風景 純銀もざいく」だ。
〈いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/……〉。作品としては9行3連、計27行の短い詩だ。が、各連最終行から2番目の行だけ違う言葉が入っているほかは、24行すべて〈いちめんのなのはな〉だ。一面の菜の花を文字で視覚的にとらえた革新的な作品と評される。
〈いちめんのなのはな〉の中でアクセントになっているのが、この違う1行。大地の〈かすかなるむぎぶえ〉。これは人間だろう。次が、空の〈ひばりのおしゃべり〉。鳥だ。終わりが、もっと高い空の〈やめるはひるのつき〉。天体。〈いちめんのなのはな〉だけで平面の広がりを感じるうえに、異質な3つの行によって作品世界が立体化される。
『聖三稜玻璃』は、暮鳥の平時代に編まれた。平で作品が書かれた、ということでもある。そのころ、菜の花は見せるものではなく、菜種油を取るために栽培された。平でも町をはずれると菜の花の広がる田園風景が見られたという。暮鳥の散歩コースでの印象が〈いちめんのなのはな〉になったのではないか、というのが研究者の推測だ。
『聖三稜玻璃』は95年前に出た詩集だ。が、決して古くない。今度〈いちめんのなのはな〉を詩集にあたって、今までとは違った立体的なイメージを得た。〈いちめんのなのはな〉が滋味豊かなものに感じられた。
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