先日、若い人間と酒を飲んだとき、「いわきは車の運転の荒さでは有名」という話になった。とっさに、40年前の“駆け出し記者”のころの話を思い出した。
同年代の「同業他社」氏が福島からいわきにやって来た。仲良くなって、あれこれしゃべるうちに、「いわきの人間は、車の運転がおっかない。だから、青信号になってもすぐには発進しないようにしている」と言った。赤信号でも突っ込んでくる車がある、ということだろう。
彼は転勤を重ねて、やがて同じ浜通りの北部で仕事をするようになった。ある日、わが家にやって来た。「いわきは車が多い=
写真。めまいするくらいだ」。<浜通りの北部はいわきより人口が少ない。車も少ない。いわきよりゆったりしているから、車の流れになじまないのだろう>と思った。
そうではなかったのだ。単に、人口を反映した車の量の違いではなくて、いわき人の荒い運転の本質が神経を刺激していたのだ。
若い人の話はこうだ。「『なにわ』と『いわき』の平仮名ナンバーは警戒される。運転が荒いから」。「なぜ、いわきの車は運転が荒いのか? ヤマ(炭鉱)とハマ(漁業)があったから」。別の「同業他社」の先輩が指摘していたのと同じ理由を述べる。
とっくに人間は一世代、交代した。社会的なルール・マナーはその間に学習しただろうが、相変わらず車の運転は荒い。
「荒れた運転」はしかし、そこに暮らす人間にはわからない。それが当たり前だから。他地区の人の運転との違いを科学的に示すようなデータはないものか。
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