2011年1月21日金曜日
ロルカが滞在した家
もう45年前になるだろうか。「詩」というものを初めて読んで引かれたものが二つある。山村暮鳥の晩年の詩と、長谷川四郎訳『ロルカ詩集』所収の「水よ おまえはどこへいく?」。17歳になるかならないころの話だ。スペインの詩人、フェデリコ・ガルシーア・ロルカ(1898―1936年)は以来、忘れられない存在になった。もちろん、暮鳥もそうだが。
先日、スペインはグラナダ在住、そして今はいわき市内郷に里帰りをしている草野弥生さんのことを紹介した。すると、グラナダでわがブログを見たダンナさん経由で弥生さんから電話が入った。私がいなかったので、カミサンが代わりに話をした。おととい(1月19日)午後、夫婦で内郷の彼女の家を訪ねた。
実家の近くにスペイン風の家がある。それが、彼女の日本のすまい。その家を設計したのは、弥生さんがグラナダ観光のガイドをして知り合ったいわきの建築家。旧知の人間だ。
スペインにいるいわき出身の画家、そしていわきで旅行代理業を営んでいる後輩だけではない。91歳のお母さんのために出張もみ療治をする鍼灸師氏も知り合いだった。その彼が間もなくやって来た。話に出てくる人、出てくる人がこちらの知り合いでもある――というのは、そうめったにあることではない。
ロルカは、そのなかでもぐっと身近な存在になった。弥生さんたちが住んでいるグラナダの家=写真(リーフフレット)=に、昔、ロルカが滞在したことがあるのだという。ロルカはスペイン南部、アンダルシア地方のグラナダ近郊で生まれ育った。詩人・劇作家として知られるようになるが、やがてフランコ軍に銃殺される。
弥生さんの姉も理不尽な死を遂げた。1997年、エジプトでイスラム原理主義者による外国人観光客無差別殺傷テロ事件(ルクソール事件)が起きる。日本人10人を含む60人余が死亡した。草野さんの姉は日本人観光客の添乗員だった。
弥生さんの家の1階居間の壁に、お姉さんの大きな写真が飾られてあった。その写真に「なぜ? WHY?」と書かれた紙が張られてある。カミサンが「あのときに……」というと、お母さんがうなずいた。ロルカとともに、弥生さんの姉・富己恵(ふみえ)さんもあらためて忘れられない人になった。
さて、リーフレットはどうやら、グラナダ市が展開している建物の「ビフォー・アフター」をPRするものらしい。世界文化遺産の「アルバイシン」地区はその奥にある。弥生さんは丘の上にある世界遺産のアルハンブラ宮殿をながめながら台所仕事をするのだという。その先にはシエラネバダ山脈。絵はがきのような世界が奥行きを持ちはじめた。
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1 件のコメント:
弥生さんと連絡をとりたいのですが、もし、お分かりでしたら教えてください。(弥生さんには娘がグラナダでお世話になりました)静岡の高野と申します。よろしくお願いします。
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