2011年1月18日火曜日

心平年譜作成者


詩人草野心平の年譜は同郷の長谷川渉(1934~93年)が作成した。現いわき市小川町上小川が二人のふるさと。長谷川渉とは何者か。私にはずっと気になる存在だった。ちゃんと知りたい。そんな気持ちがだんだん膨らんでいた矢先、わがブログを読んでくれている知人のはからいで、師走の上旬に渉の妹さんとお会いすることができた。

心平は明治36(1903)年生まれ。渉は昭和9(1934)年生まれ。親子ほどの年齢差がある。渉の妹さんの話から、心平の生家と渉の実家(吉埜屋=現よしのや菓子店)が近いこと、心平は吉埜屋と交流があったこと、当然、心平の子どもたちと渉は仲が良かったこと、などを知った。

なかでも、心平の弟・天平の子どもの杏平さんとは「くっついていた」ほどの仲だったという。

妹さんの話から、長谷川渉の実像が立ち上がり始めた。渉の著書(かつて勤めた業界紙の社長との合著『見聞巷説抄』=1978年刊)をお借りして読んで、彼がどんなことを考えていたのかが、少しわかった。『草野心平日記』で長谷川渉に関する記述もチェックした。心平と渉は、文学を触媒にして父子のような関係を築いていった――そんなことを感じた。

心平の「上小川村」の詩にある<ブリキ屋のとなりは下駄屋。下駄屋のとなりは……>の町並み=写真=の描写、これを実証したい思いに駆られている。そんなことを妹さんに告げたら、先日、知人を介して手描きの地図が届いた。

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