いわき市平の市街地を過ぎて河口に近づいた夏井川は、「旧神谷村」でS字状に蛇行しながら東進する。浅瀬には砂州ができる。平中神谷字調練場の砂州はなかでも最大級だ。
地名の由来については2年前に書いた。笠間藩の神谷陣屋藩士の兵式調練場だったのが、そのまま字名になった(志賀伝吉著『神谷村誌』)。小学校の運動会が開けるくらいに広い。
ここにある日、ショベルカーがやって来た。やがてダンプカーが現れ、砂利を採取・運搬するようになった。ショベルカーが砂利をかき集めて山をつくり、山の上から砂利をすくってダンプカーに投入する=
写真。
私が日常、目にする左岸の砂利採取現場としては最も下流だ。平塩地内では2カ所、これはとっくに採取が終了した。右岸、平山崎地内の河川拡幅工事(「土砂撤去」名目だから、ここも砂利採取に違いはあるまい)も終わった。
調練場は、半分は枯れヨシ原だ。堤防を下りて枯れヨシ原を過ぎると、広い砂州に出る。ここで藩士たちはどんな訓練をしたのだろう。戊辰戦争では本藩が「官軍」側についたから、陣屋は「賊軍」の磐城平藩などに囲まれて四面楚歌になった。
砂利採取が続く調練場の光景に、日本が近代化する過程での「内戦」(戊辰戦争)を思い浮かべ、その連想でイスラム世界の「ジャスミン革命」に思いが走る。とりわけ、リビアの独裁者の頭の中はどうなっているのかと、問わないではいられない。
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