2011年9月26日月曜日

秋の墓参


日曜日(9月25日)に墓参りをした。秋分の日は金曜日で、カミサンは米屋(支店)の仕事をしなくてはならない。私も細かい用事を抱えていた。カミサンは、最初から墓参は日曜日にと決めていたようだった。あとで雲が出てきたものの、朝からまずまずの天気になった。寺を2カ所回った。やはり日曜墓参組がいた。

春分の日には福島第一原発からざっと90キロ離れたところに避難中で、はるか西からいわきに向かって手を合わせるほかなかった。3月23日に帰宅した。春の墓参りをしたのは4月中旬、義父の命日に合わせてだった。墓地の墓石があらかた倒れていた。カミサンの実家の墓も同じだった。

それからほぼ半年。実家の墓はそのまま=写真=だったが、旧に復した墓が増えている。石専用の接着剤をのぞかせたものもある。

カミサンの先祖の墓をはじめ、昵懇にしていた老彫刻家の墓などに線香を手向けた。若くして死んだ詩人(磯貝彌)にも手向けた。天田家の墓の一角に天田愚庵の歌碑があるのを見つけたので、それにも手向けた。このところ、磯貝彌について調べたり、愚庵について調べたりしている。お礼の意味もある。

天田家の戸籍は旧草野村にあった。戦後、草野村の助役をしたのが民俗研究家の高木誠一。高木家から、誠一が書き写した天田家の戸籍が出てきた。そのコピーを入手した。誠一は愚庵の何を調べたかったのか。そんなことが頭から離れない。

秋彼岸にはなぜだか気持ちが落ち着かない。9月22日は草野比佐男さんの命日、つまりわが母の命日でもある。それを心のどこかに刻んでいるからだろう。今年は雑用に追われて命日を振り返る余裕がなかった。土曜日になって「ああ、そうだった」と思いだした。

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