2011年9月18日日曜日
赤井焼
いわき市暮らしの伝承郷で「伝承郷収蔵品展~震災と民具」が開かれている。10月23日まで。
平成11(1999)年の開園以来、市民から伝承郷に寄贈された民具は約5500点にのぼる。移築された古民家の中などに、調度品としてそれらの民具が配置されている。そして今回、東日本大震災で被災した民家から多くの民具が伝承郷に寄贈された。
企画展には主にこれらの“被災民具”が展示された。民具寄贈者は16人に及ぶ。カメラマンが撮った震災写真も併せて展示されている。
泉地区から寄贈された泉藩関係の陣羽織やかみしも、着物などとともに、平赤井地区から寄贈された赤井焼関係の陶器類が目を引いた。特に、赤井焼の数々が興味をそそる=写真。旧窯元の家から出た。震災で庭に打ち捨てられていたものだという。
赤井焼については『いわき市史 文化編』(第6巻)に詳しい。相馬焼、なかでも浪江・大堀焼の影響を強く受けた民窯で、松の木を薪にして登り窯で日用雑器を焼いた。のちには益子焼(栃木)との結びつきが深まり、各種釉薬などの原料を益子町から調達するようになったという。
高原窯が隆盛を極め、やがて鈴木窯も興る。伝承郷に寄贈されたのは鈴木窯で焼いた水瓶・擂り鉢・片口・徳利・皿・火鉢・土管などで、明治時代の初めから昭和27年にかけてつくられた「赤井焼の全容を知るうえで大変貴重なもの」だ。
震災がなければ埋もれ、朽ち果て、あるいは流出して、地元いわきから姿を消す運命にあったかもしれないモノたち。それが、言葉は悪いが震災による「ダンシャリ」でよみがえった。
ひびが入ったために素焼きのままで打ち捨てられた水瓶がある。羽釡がある(陶製の羽釜を初めて見た)。土管などはそれこそ埋められるためにあるわけだから、残っていること自体が珍しい。震災がもたらした貴重なモノたちというほかない。
いわきの焼き物研究は、これによってより深く、より豊かなものになっていくだろう。
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