福島県俳句連盟副会長で県文学賞俳句部門審査委員の結城良一さん(いわき市)が、先に23年度県文化振興基金顕彰を受賞した。祝賀会がきのう(4月14日)正午から、いわきワシントンホテル椿山荘で開かれた。
結城さんの俳句仲間や、いわき市文化協会の役員など約50人が参加した。花束=写真=と記念品が贈呈され、乾杯のあとは祝踊、カラオケなども披露された。
と書くと、騒々しかったのではと思われそうだが、そんなことはない。隣り合う人たちが静かに楽しく語り合う合間にひとつ踊りが入り、宴の終わり近くになって結城さんも加わり、2曲ほど歌を披露したといった程度。
結城さんを知って40年になる。昭和47(1972)年11月3日、県文化センターで開かれた県文学賞表彰式の席で初めて言葉を交わした。そのとき結城さん37歳、私23歳。
実は何時間か前から“同行2人”だった。いわきから磐越東線の列車に乗った。近くの席にその人がいた。東北本線の列車に乗り継いだら、やはりその人がいる。福島駅前からバスで県文化センターへ向かおうとすると、やはりその人が乗り込んできた。その人が、つまり結城さんだった。
その後、結城さんは俳句を極め、私は詩を離れた。が、いわきの文化のためになにかできることを、という思いは共有していたように思う。この40年間を振り返れば、同じ列車に乗って、少し離れた席に座りながら、いわきの広野を旅し続けてきた――そんなイメージが浮かぶ。
浜通り俳句協会の俳誌「浜通り」(季刊)に、結城さんから頼まれて<いわきの大正ロマン・昭和モダン――書物の森をめぐる旅>を連載しているのも、一種の“同行2人”意識からだ。
「浜通り」はいわきで唯一発行されている俳誌だという。結城さんは謝辞の中で「浜通り」を出し続ける“意地”について触れた。同協会の会長にして編集の実務を担当している――なかなかできることではない。
3・11後、すぐ震災詠を掲載し、その後も「東日本大震災特集」を続けている。俳誌編集者としての問題意識、すごみと深さ、ネットワークの広さに舌を巻いた。しかもそんなことは胸にしまって、一庶民として人に接する。つかず離れずつきあってこられたのはそのためだろう。
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