『目で見るいわきの100年――写真が語る激動のふるさと』(郷土出版社・1996年)に、「カフェタヒラ」と「乃木バー」が載る=写真右と下。撮影は共に「平・大正14年」だ。乃木バーにも、カフェタヒラにも「西洋御料理」の看板がかかる。カフェタヒラでは詩人の詩集出版記念会が開かれた。いわきの「大正ロマン」を象徴する店だ。
3月下旬、スペインからふるさとの内郷御台境に帰っている知人を訪ねた。3・11からちょうど1カ月後の4月11日、強烈な直下型地震がいわきを襲った。庭に亀裂が走り、レンガ造りの蔵も縦にいっぱいひびが入った。
母屋も蔵も解体することになって、電話がかかってきた。いわき市暮らしの伝承郷へと救出できる民具があるかもしれない。都合、3日通った。乃木バーの“遺品”が出てきた。
いわきの大正ロマンを調べている。格好の素材だ。フォークやナイフ(さびている)、ナイフを包んだままのナプキン、大正10(1921)年6月、11年11月の通い帳、12年9月の買い物帳のほか、封書・はがきなど数点をあずかった。
知人の話では、祖父は獣医。東京の女性と結婚し、麻布で父親が生まれた。そのあといわきへ帰り、乃木バーを出した。祖母が実質的に切り盛りしていた。乃木バーの乃木は、自分たちが住んでいた麻布=乃木希典の生誕地に由来するものでもあったか。
ナプキンのロゴマークがしゃれている。ナイフとフォークを丸くかたどったなかに、右から左へ4行、「西洋御料理/乃木バー/電話三六九番/平郡役所通り」とある。通い帳には食パン・クリームパン・バターパン、清酒などの品が、買い物帳には焼き豆腐・豆腐・生揚げ・長ナス・椎茸などの食材ほかが並ぶ。
バーというからアルコールを出したのだろうが、主体は“洋風料理”ではなかったか。東京出身の、知人の祖母はかなりハイカラな人だったと思われる。タイラカフェもおそらく似たようなメニューだったろう(ちなみに、こちらの電話番号は六二〇番、店としては後発だった?)
乃木バーの所在地がナプキンや手紙からわかった。平三町目1(現在は佐川洋服店)。石城郡役所は、今の銀座通りの北、常磐線を背中に抱えた並木通り沿いにあった(現在はいわき駅の西側駐車場あたり)。
大震災から1年余、知人・友人の家の解体・ダンシャリに何度か立ち会った。今度も伝承郷へ届けるもの、古着リサイクルを手がけているザ・ピープルに届けるもののほかに、いわきの文化史を彩るものが出てきた。きちんと調べて報告しないと所有者に対して失礼になる。そんな気持ちでいる。
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