「『残された花々』展~川内村へ帰ります――志賀敏広+土志工房 絵画と陶器展 2012」が4月24日、いわき市平のエリコーナで始まった=写真。29日まで。「二絃三絃のしらべ」と銘打ち、27日午後6時半から二胡とピアノ、翌28日午後2時から三味線と尺八のコンサートが同会場で開かれる。
志賀さんは浪江町で生まれ育った。父は旧小高町、母は双葉町の生まれ。ご両親とも花が好き。庭で草花も育てていた。今、志賀さんが居を構えているところは阿武隈高地の川内村。山野に木の花、草の花が満ちる。その双葉郡が放射能で汚染された。
あの日3・11のあと、原発の建屋が爆発する。たぶんその前からだろう。「隣の町から、村の倍以上の人が、川内村に逃げ込んできた。さらに爆発が続き、避難して来た人たちは更に、我々も又、村を離れなければならなくなった」
志賀さんは避難するとき、「家の庭に咲く花をひとかかえ切り取り、荷物で一ぱいになった車に積み込むことにした。絵具と画用紙とともに。/それがこの、花の絵画展の始まりである」と記す。
2011年秋。「この半年間、前半は災害にまきこまれ、後半は体調にめぐまれなかった。でもどちらも花を描くのに問題はなかった。ほとんど毎日のように花を描いても飽きることはなかった。日課になってくると描くものがなくなるととても淋しくなってしまう。/川内村に帰ろう、と思う」
そうした心の軌跡を経て、3月に郡山展、福島展が開かれた。最後のいわき展だ。会場はざっと3部構成になっている。画用紙に描いた草木の花、富士山をモチーフにした絵、陶器。
「2011、10月『富士』」と題された文章を抜粋する。「体調を崩した頃より、なぜか強く富士を意識するようになった。/富士山には、多くの人があこがれをもっていたようで、富士の傑作を描いた先人は、北斎、大観、操、球子ときりがないほどである」「やはり一度は挑戦してみたいテーマではあったので、この際、と思い私なりの富士を描いてみた」
富士をテーマにした作品を数えたら、121点あった。北斎の「富嶽百景」を越えているではないか。驟雨の向こうにそっと富士が顔を出している絵を求めた。富士は、ときには屹立する孤絶の存在だが、志賀さんの富士は庶民的で親しみやすい。「イメージとしての富士、模様と化した富士をテーマにしぼって表現」しているからだろう。
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