2012年4月25日水曜日

ヨシダクン


きのう(4月24日)の福島民報。若松紀志子先生=写真=の死亡記事に、しばし呆然として言葉もなかった。川崎の病院で、肺炎で亡くなった。享年96。

最後にお会いしたのはおととし(2010年11月3日)、いわき市立美術館で「若松光一郎展――律動する色彩」が開かれたときのオープニングパーティーの席だった。いすに座っている紀志子先生にあいさつすると、ニコッとした。先生が開設したエリコーナで「松田松雄展」(2008年11月)を開いたときには、ツーショットに応じてくれた。

昭和39(1964)年4月、開校3年目の平高専(現福島高専)に入学した。授業はきつかった。その合間に音楽(1年生)があり、美術(2年生)があり、体育があった。三つの授業だけが自分を取り戻す、数少ない時間だった。

音楽は紀志子先生、美術はご主人の光一郎先生。理系の授業になじんでいる学生も、なじめないでいる学生(私たち)も、やがて若松家に出入りするようになる。

そのへんの経緯は小欄(2010年11月4日付「若松光一郎展」)に書いた。「道で会ったらすぐ思い出せる人間と、思い出せない人間がいるの。あなたはすぐ分かる」。ありがたいことに15歳の出会い以来、45年以上、「ヨシダクン」で接してくれた。

エリコーナではきのうから、知人の志賀敏広さん(川内村)の個展が開かれている。夕方、会場をのぞいた。先生の娘婿であるNさんにお悔やみをのべつつ、先生の最晩年の様子を聴いた。

川崎には上の娘さんがいる。で、大震災後、そちらへ移った。この二、三日の間に体調が急変した。此岸から彼岸へ、いつものように颯爽と歩きながら渡って行く先生の姿が思い浮かぶ。合掌。

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