わが目を疑った。ダイサギ? 違う、ハクチョウだ=写真。今は8月前半、ハクチョウが北から飛来するはずはない。もしかすると――。左の羽が折れて垂れさがり、すり切れている。てっきり天国に旅立ったと思っていた、残留コハクチョウの「左助」ではないか。この3年間、どこでどうやって生きていたのだ、おまえは。
きのう(8月10日)早朝、3日ぶりに夏井川の堤防を散歩した。冬はハクチョウの越冬地になる平・中神谷地内だ。
上流の越冬地・平中平窪地内で羽にケガをした。やがて大水に流されるようにして、中神谷に下ってきた。その「左助」に誘われてハクチョウが飛来し、夏井川第二の越冬地になったのが、およそ12年前。ピーク時には200羽ほどが羽を休める。カモ類も安心して舞い降りる。
そこに、季節外れの今、白く大きな水鳥が現れた。対岸で草を食べ、水を飲んでいた。
中神谷の夏井川には羽をケガして飛べなくなったコハクが、一時、4羽もいた。1羽は傷がいえて1年後には北へ帰った。最古参の「左助」と若い「左吉」「左七」の3羽が、夏井川を下ったり上ったりしながら、人間の視界のなかにとどまっていた。
それが、消えた。2009年秋のことだ。毎日えさをやっていたMさんの話では、「左助」は夏井川河口から横川でつながっている仁井田浦のあたりに移動したあと、消息を絶った。ほかの2羽も前後して姿を消した。同年10月30日付小欄「『左助』も天に帰ったか」が、何度も「左助」をテーマにして書いてきた最後だった。
生きていれば、情報が入ってくる。早朝、冬のえさやりを欠かさないMさんが、散歩時に教えてくれる。3羽とも獣に襲われたのではないか――Mさんが思い、私も納得して3年弱が過ぎた。
その「左助」が人知れず生きていた。大津波にのまれることもなかった。なにか熱いものが胸にこみ上げてきてしかたがなかった。
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