2013年7月25日木曜日

昔のキュウリ

団塊の世代だからこその「時代区分」がある。少年期(昭和30年代)、高度経済成長政策によって暮らし向きが変わった。庭の手押しポンプからバケツに飲料水と風呂水をくんでいたのが、蛇口をひねれば出る水道に替わった。衣類の洗濯も、たらいと洗濯板の人力から電気洗濯機に替わった。

実家は床屋だが、野菜はそれなりに“自産自消”をしていたようだ。家から離れた山裾に畑があった。夏休みになるとトウモロコシを収穫し、キュウリをもぎって食べた。キュウリはずんぐりとしていた。この「小白井(おじろい)きゅうり」=写真=のように、熟すると茶色くなるものがあった。自家採種をしていたのかもしれない。

いわき市暮らしの伝承郷で、9月1日まで「いわきの昔野菜展」が開かれている。企画展示室では写真と解説で昔野菜を紹介し、園内の畑では実物を栽培・展示している。「小白井きゅうり」のほかに、三和(みわ)の「昔きゅうり」、阿武隈高地で広く栽培されている「白じゅうねん」「黒じゅうねん」などがあった。

2011年3月に発行された、最初の『いわき昔野菜図譜』(いわき市発行)によれば、「小白井きゅうり」はどぶ漬け・酢の物・きゅうりもみ・きゅうり炒め・きゅうりとなすの味噌汁にして食べる。昔、食べたなかで最も鮮明に覚えているのは、真夏のきゅうりもみ。水分がたっぷりあってやわらかかった。「小白井きゅうり」もやわらかいのが特徴だ。

地球温暖化がいわれ、一人ひとりがどこまでエネルギー消費を減らせるか、が問われるなかで東日本大震災と原発事故がおきた。いよいよ節電を暮らしの軸におかなくてはいけなくなった。少し不便を、少し人力(ウデ)の復活を――小さく循環する暮らしのイメージが思い浮かぶ。

昔のキュウリを食べたことのある人間には、“自産自消”と自分のウデを生かした暮らしとは一体のものだ。昭和30年代、つまり高度経済成長前の暮らし方を参考にすれば、エネルギー消費はだいぶ抑えられるのではないか。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

原発の汚染水が海へ流出している問題。我々はただニュースを傍観するしかないのか? 怒りや不条理を変えることはできないのか? むなしさが増すばかりです。

漁業者は、声を荒げているが「よろしくお願いします」では変わらないだろう。賠償でズルズルなのだろうか?

そういう私も賠償はないが、なにもできない、垂れ流しがあろうがなかろうが、ただ眺めているだけだ。

水俣病は賠償が終息するのに50年もかかった。しかし水俣の魚は食べない。福島の魚も同じ宿命をたどるのか? それでも魚は食べないだろう。

匿名 さんのコメント...

東電は社員5千人に対し、社員の流失を避けるため1人10万円を支給するとか聞いた。

それより避難してる人に微々たるものでもかまわない、2、3万でもいいから迷惑料をあげるべきではないか?

彼らの考えは理解できない。