双葉郡大熊町から近所に避難してきたおばあさんがいる。元気なおじいさんと一緒だ。米屋をやっているカミサンと知り合い、ときどき顔を出すようになった。ポットやプランターで育てた花苗を持ってくることもある。先日は初物の「山形のさくらんぼ」をいただいた=写真。
店では米のほかに塩を売り、醤油を売る。3・11後は初めて買い物にくる人が少なくなかった。ほとんどが双葉郡から避難してきた人だった。
おばあさんとおじいさんは最初、会津へ避難した。アパートに入った。うるさかった。夏は背中が焼けるほど暑かった。冬は1メートルも雪が積もると聞いておそれをなした。それで、不動産業者に頼んで家を見つけ、夏のうちにいわき市へ引っ越してきた。
以来、2年。わが家を中継点にして週1回、近所の人が予約した卵が川内の「獏原人村」から届く。その卵やヤクルトの予約を頼まれることもある。その意味では、おじいさんとおばあさんはすっかり近所の一員になった。
土いじりが好きて、プランターにいっぱい花を咲かせる。いただいた花の苗はトレニア、アサガオ。ポット苗は好きな人に持って行ってもらうように、張り紙をして店頭に置いたら、いつの間にかなくなった。
こうして新しいコミュニティに溶け込んでいるせいか、ときどき2人が原発避難者であることを忘れることがある。いや、忘れているくらいでいいのではないか。「山形のさくらんぼ」はだから、おばあさんからもらったこともあるが、初物だということだけで十分うまかった。
2 件のコメント:
初めまして、
いつも拝読させていただいています。特に今日のブログは何か何処か明るい話題に心が癒される感じがしました。今後も宜しく続けて下さい。
ささやかな生活、暮らしぶりそれが日常ですね!
避難を余儀なくされた上に、ねたみそねみを受ける非日常は金輪際許せないものですね!
いつも迷います、だれが悪いのか?
政府か、東電か、そのに住んでた者か、避難先の住民か、政治家か、行政自治体か、官僚か、マスコミか、関係ないと無視する国民か?
逆に、だれがこの早期復興をリードしているのでしょうか?これも答えがなかなか見つかりません。
おじいさん、おばあさんが日本に生まれてよかった言える地域にしていかなければ若輩者は顔向けできない気がします。
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