2015年7月10日金曜日

前期常設展示「いわきの戦災」

 いわき駅前の再開発ビル「ラトブ」4~5階に、いわき市立いわき総合図書館が入居している。ラトブが開業した平成19(2007)年10月25日から、ひんぱんに図書館を利用している。
 開業日と前後して会社を辞めたあと、途切れることなく下請けで本を2冊まとめた。必要な新聞記事をコピーするために図書館へ通い続けた。

 野口雨情記念湯本温泉童謡館が同20年正月5日にオープンした。初代館長の故里見庫男さんから、「童謡詩人について話してくれないか」と無茶な注文を受けた。断るわけにはいかないので、これも合わせて図書館で調べた。おかげで、いわき地方の「大正ロマンと昭和モダン」を少しはイメージできるようになった。

 同時に、自分が勤めていた地域新聞の経験を総括するために(大げさに言えば、オレの人生は何だったのか、と問うために)、いわき地方の地域新聞の歴史を調べ始めた。それから4年後、震災の年の秋に始まった図書館の後期常設展示「いわきの地域新聞と新聞人」の資料も、おおいに役立った。

 太平洋戦争が始まるほぼ1年前には、5紙あったいわき地方の日刊新聞が1紙に整理・統合される。さらに、「1県1紙」政策のなかで、いわきの新聞は福島民報の「磐城夕刊」になる。それも、昭和19年には休刊する。終戦時には、地域のニュースを伝える地元メディアはなかった。

 今年6月24日から12月18日まで、総合図書館5階で今年度後期の常設展示「戦後70年、伝える――いわきの戦災」が開かれている。A3判二つ折りの資料=写真=を手にし、同図書館所蔵のいわきの戦災関連図書を眺めていて、ひらめくものがあった。地域紙の強制的な統廃合は「内なる戦災」ではなかったか――。

「新聞用紙の配給」を武器にメディアの統制がはじまり、勝っているうちにはそれなりに正確だった「大本営発表」がウソで塗り固められていく。そうしてポツダム宣言、広島・長崎の原爆投下を経て、玉音放送を迎える。いわきにずっと地域新聞があったなら、「昭和20年8月15日」の様子もわかるのだが……。

「戦後50年」を前に、いわき地域学會が市民から手記を募り、編集・出版した本がある。『かぼちゃと防空ずきん』(平成6=1994年刊)で、中身は全く同じながら、平成22(2010)年、会津若松市の歴史春秋社から『市民が書いたいわきの戦争の記録 戦中・戦後を中心に』と改題したものが出た。

 いわき地域学會は毎月、市民を対象に「市民講座」を開いている。担当の副代表幹事から8月の指名を受けたので、「昭和20年8月15日のラジオと新聞」をテーマに話すことにした。『かぼちゃと防空ずきん』の市民の手記ももちろん引用する。まず、小さなメディアから「内なる戦災」が始まる――という思いをこめて。

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