2015年7月20日月曜日

「熊川稚児鹿舞」練習見学会

 手元に『熊川稚児鹿(しし)舞が歩んだ道――福島県双葉郡大熊町』(いわき地域学會、2015年3月刊)がある。サントリー文化財団の助成を得て、熊川稚児鹿舞の歴史や保存会の組織・活動などを調査し、原発事故に伴う休止・復活までの足跡をドキュメントとしてつづっている。以下、同書を参考に記す。
 夏休み、そして3連休初日の7月18日、土曜日。地域学會はいわきワシントンホテル椿山荘で「熊川稚児鹿舞」練習見学会を実施した=写真。各地に離散する大熊町民を中心に、いわき市民、マスメディアなど約70人が詰めかけた。

 主催者を代表してあいさつした。震災後、地域学會は事業の柱に「震災復興事業への支援・協力」を加えた。その一環として、「熊川稚児鹿舞」復活までの調査・研究を手がけ、練習見学会を企画した、ということを話した。

 本の巻頭言に、大熊町民のつづった避難手記を紹介した。大熊町民が「西へ避難するように」と言われて阿武隈の峠を越えて田村市に入ると、常葉町民が温かく迎えてくれた。その町が半世紀以上も前に大火事になったとき、大熊町の消防団に世話になった、そのときのお礼をしているだけ――。常葉町はわがふるさと、個人的な思い出に触れると長くなるので、それはよした。

 大熊町の行政区に「熊川」がある。小良浜・新小舘・熊川の3地区からなる。稚児鹿舞が行われているのはその中の熊川地区だ。そこに暮らす戸数約60戸の人々は地元・諏訪神社の氏子であり、稚児鹿舞保存会の会員でもある。稚児鹿舞は大熊町の無形民俗文化財に指定されている。大津波で神社も、鹿頭などの用具を保管していた地区の公民館も流された。そこからの復活だった。
 
 小学生4人が鹿役、大人1人が道化の野猿役となって舞を演じる。原則4年間(小学4年生から中学1年生まで)は同じ子どもが演じ、次の小学生4人にバトンタッチをする。
 
 鹿役の4人は兄弟2組で、それぞれ避難先のいわきと会津若松の両市に分かれて暮らす。そのために両市を行き来して練習を重ねてきた。去年(2014年)の7月20日、つまりきょう、会津若松の応急仮設住宅で夏祭りが開かれた際、初披露され、4年ぶりに舞が復活した。
 
 当然ながら、私はこの稚児鹿舞を初めて見る。演じる時間の長さ、複雑な振りだけでも大変なのに、鹿頭を付ければ重い、暑苦しい。重労働には違いない。休憩時間に母親たちからうちわで風を送られていたが、熱中症になりかねないほどのハードさは、子どもたちの様子からもわかる。
 
 練習が終わったあと、地域学會のスタッフの1人が一番小さな子どものところへ行って、「よかったよ~」と握手を求めていたが、練習を見た全員が同じ気持ちだったろう。大熊町民も、いわき市民も最後はけなげさに胸が熱くなったのではないか。

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