東日本大震災で生まれた縁――ということを、ときどき考える。震災がなければ出会わなかった人たちがいる。最初は「たまたま」だったかもしれないが、つきあいが深まるにつれて、会って話すのが「当たり前」になる。「偶然」が「必然」になる。そういう人たちのことを書きたい。きょう(7月13日)は、その一。
土曜日(7月11日)の夜、小3の娘さんが夏休みになったので中国から一時帰国したTさん母娘と、フランス人写真家のデルフィーヌといとこ(オーストラリア在住)、浪江町からいわき市に避難中のKさん夫妻と、われら夫婦で会食した=写真。
デルフィーヌとは震災1年後の2012年5月中旬、国際NGO「シャプラニール=市民による海外協力の会」がイトーヨーカドー平店2階で運営していた被災者のための交流スペース「ぶらっと」(2014年4月、スカイストアに移転)で初めて会った。
「ぶらっと」のスタッフだったRさん、ご主人が海外転勤になる前、いわきにいてボランティアをしていたTさんとともに、われら夫婦も彼女と親しくなった。Kさんも「ぶらっと」の利用者で、デルフィーヌが撮影対象にしたひとりだ。
その後、彼女は2014年2月18日から3月28日まで、ドイツのベルリン日独センターでドイツ在住の芥川賞作家多和田葉子さんと、詩と写真展「アウト・オブ・サイト」を開く。多和田さん自身もその前年の8月、Tさんの案内でいわき・双葉郡、その他の土地を巡った。その体験が作品集『献灯使』に反映されている。
多和田さんがいわきへやって来た年の師走、デルフィーヌがTさん母娘と一緒に夏井川渓谷のわが隠居(無量庵)を訪ねた。私が落葉した渓谷林を案内しながら、キノコの話をしたらしい。翌2014年7月末、フランスから乾燥キノコが届いた。
平仮名がういういしいしかった。漢字交じり文にすると――。「追伸 プロヴァンス産のマッシュルームを送ります。/水にしばらくさらしたあと、オムレツやグラタンなどの料理に使ってみてください。お口に合えばいいのですが……」
ネットで調べたら、「トロンペット・ド・ラ・モール」(死者のトランペット=和名クロラッパタケ)」で、アンズタケの仲間だった。炊き込みごはんにすると、味も歯ざわりも「コウタケごはん」並みにうまかった。一級品には違いない。
長々と経過を書き過ぎた。会ってまる3年になる彼女は、すっかり日本語を解するようになっていた。会うたびに日本語の理解が進んでいることがわかったが、今回は片言の英語のカミサンと片言の日本語のデルフィーヌとで普通に会話ができる。
それで知ったのだが、今度は多和田さんと一緒に本を出すという。ベルリンで写真展を開いた以上はそうなるのが当然で、私としてはそれを待望していた。
で、それと関係するのかどうか。いわき地方で月遅れ盆に行われる、新盆(にいぼん)供養の「じゃんがら念仏踊り」を取材したいという。Tさん母娘はその前に中国へ戻る。ならば、今は住む人がいなくなった「ゲストハウス」(カミサンの亡くなった伯父の家)がある、それを使ったらどうか、ということになった。
いわきのために、いや浜通りのために、仕事をしていると思えば、側面からできる協力はしたい、それが人情というものだ。多和田さんも8月には取材に来るらしい。実は2013年の8月、多和田さんが来たとき、Tさんのはからいで、今回会食したところと同じところで会食している。
カミサンの父親が生まれた家の当主の親が昨年暮れに亡くなった。事前に聞いておけば、「じゃんがら」の青年会一行がやって来る日時がわかる。ぜひ、平の田舎も田舎、どん詰まりの旧家の庭で演じられる「じゃんがら」を見せたい。そんな思いがふくらんでいる。
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