2015年7月15日水曜日

ネパールパーティー(下)

 ネパール応援の「ナマステ!ネパールパーティー」は、いわば女性パワーが結集したイベントだった。
 主催したのは、夫がネパール人の日本人女性と、夫が日本人のネパール人女性が立ち上げた「いわきからネパールを応援する会」。それを、ベルギーで東日本大震災を知ったいわき出身の女性が中心になって手伝った。
 
 東日本大震災とネパール大地震と――。異国で母国の災禍を知ったとき、人間はどんな気持ちになるか。司会を担当したベルギー帰りの女性は、当時のつらさを振り返った。母国から遠く離れていて情報が入らないもどかしさが大きかったのだろう。ネパール大地震では、日本にいるネパール人が同じような思いを抱いている――それが、イベントを手伝う原動力になったようだ。
 
 イベントには、東日本国際大の留学生も何人か参加した=写真。準備段階から手伝った留学生もいた。その彼が、東日本大震災から2年後、短時間のホームビジットでわが家へやって来た留学生だった。
 
 司会を担当する女性が準備段階から気をもんでいた。留学生たちがいわき駅から植田駅まで電車でやって来るはずなのに、まだ着かない。連絡がきたときには、イベントが始まる直前で、迎えに行ける車がなかった。

車は2台が必要だった。ここは、なんの手伝いもせず、会費を出してネパールカレーを食べただけの“臨時スタッフ”、私の出番だ。会場の錦公民館から、別の1台とともに植田駅へ直行し、駅舎前にいた男女6人をピックアップした。実は30年余り前、いわき民報の勿来支局で“ひとり支局長”をやっていたので、そのへんの地理には詳しい。傍観して終わったら自分が情けなくなる。
 
 プログラムが進んで一段落したとき、カミサンが留学生たちに話しかけた。「ホームビジットで留学生を受け入れたことがある」。私が受けて「名前はゴビンダ」というと、仲間が彼を指さした。準備を手伝った彼ではないか。髪型が変わり、ほおがこけていたので、わからなかった。

 彼の生まれ故郷はインドに近い平原のチトワン郡。「亜熱帯」に属し、ベンガルトラやインドサイ、ヌマワニなどが生息する。ネパール大地震が発生した直後、国際NGO「シャプラニール=市民による海外協力の会」が緊急支援活動を展開した地域でもある。シャプラのホームページで、リアルタイムで知った。

 東日本大震災時には、原発事故のために仲間と一時、東京へ避難した。そのころはまだ日本語がよくわからなかったから、日本人の何倍も心細い思いをしたことだろう。そして、今度は母国の大地震だ。どうだった? 「家は壊れたけど、(家族は)みんな大丈夫だった」

 駅からピックアップした中に、彼の奥さんがいた。「2カ月前にやって来た」という。大地震の直後ではないか。彼にとっては家族とともに最も安否が気になる存在、危機に直面して離れて暮らすことができなくなった――そんな心理が作用したか。20代後半の彼は、間もなく大学の3年生になる。アルバイト先も替えるという。

 ほかにも同じようなカップルが2組、いや3組? 大地震がカップルのきずなを強靭にした。

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