2018年5月13日日曜日

「いわきの映画館」展

 吉野せいの短編「赭(あか)い畑」に、戦前・戦中、悪名をとどろかせた“特高”が登場する。せいの夫・混沌(吉野義也)が理由もなく特高に連行される。そんな息苦しい時代の物語だ。作品の末尾には「昭和十年秋のこと」とある。
 夫婦の友人に地元の女性教師がいた。彼女も、「中央公論」を読んでいるというだけであげられる。その女性教師とせいがある晩、町へ映画を見に行く。女性教師が「子供を全部混沌に押しつけて私を誘い、夜道を往復二里、町まで歩いて『西部戦線異状なし』を見て来た」のだった。

 せいの作品集『洟をたらした神』のなかでは唯一、せいが自分のために時間をつくって映画を楽しむ、なにかホッとさせられるエピソードだ。

 中央公民館から月に1回、計4回の市民講座を頼まれた。『「洟をたらした神」の世界』と題して、作品に出てくることばの「注釈」をすることにした。同公民館のあるいわき市文化センターで耐震化工事が行われている。平・一町目のティーワンビル4~5階に入居する生涯学習プラザが臨時の会場になった。

 5月8日に1回目の講座が開かれた。せいが見た映画「西部戦線異状なし」の話もした。「町」は市になる前の「平町」にちがいない。せいの住む好間・菊竹山から平(現いわき)駅前あたりまではざっと4キロ。となると、どこの劇場でこの映画が上映されたか――新しい“宿題”ができたことも話した。
 
 たまたまだが、同プラザのエレベーターホールとロビー壁面を利用して、「写真に見るいわきの映画館――娯楽の王様映画の記憶」展が開かれている=写真。同プラザ開館15周年記念の特別展だ。この特別展に探索のヒントがあった。
 
 同プラザが入居するティーワンビルそのものが、いわきの映画文化の先駆け、「聚楽館(しゅうらくかん)」が建っていたところ。それが特別展を開く根拠にもなったようだ。

 紹介パネルで、①聚楽館は平・有声座に続き、昭和12(1937)年に映画の上映を開始した②昭和初期の「常磐毎日新聞」に「シネマ週報」として、平館・世界館(元有声座)の上映作品が載っている――ことがわかった。この地域紙に当たれば、「西部戦線異状なし」の上映時期・上映館がわかるかもしれない。

「西部戦線異状なし」は1929年、第一次世界大戦の敗戦国ドイツ出身の作家、エーリヒ・マリア・レマルクが発表し、世界的な大ベストセラーになった小説だ。この作品を、翌年、アメリカのユニヴァーサル社がルイス・マイルストン監督で映画化したという。優れた作品であることは、第3回米国アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀監督賞を受賞したことでもわかる。

 市民講座では、いわき地方には5年後に映画「西部戦線異状なし」が巡って来た?と、「?」をつけて説明したが、甘かったかもしれない。文中には「ある夜」とあるだけだから、昭和10年とは限らない。
 
 戦後の日本映画でも平で上映されるのは2年後、という例がある。アメリカの映画が平あたりで見られるのは3年後、あるいは4年後だったかもしれない。狙いを定めながらも幅をもって調べる――すると、映画以外のことでも、たとえ「西部戦線異状なし」にたどり着けなかったとしても、おもしろい事実に出くわすかもしれない。
 
「<昨日>の新聞はすこしも面白くないが/三十年前の新聞なら読物になる」(田村隆一)。ましてや、50年前の、80年前の新聞は物語の宝庫だ。

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