その2日後、日曜日(4月29日)。いわき市の山間地・三和町~川前町~小川町を巡った。標高500メートルの三和・差塩(さいそ)も、そこから200メートルほど下った谷間の川前・宇根尻も、あらかた田んぼの代かきが終わっていた=写真。
それからさらに1週間。きのう(5月6日)朝、夏井川渓谷の隠居へ行くため、神谷耕土の道を利用すると、ずいぶん青田になっていた。あぜ道に稲苗の箱を並べているところもあった。ゴールデンウイークが終わると、神谷耕土はおおむね青田に変わる。が、それにしても少し早い。やはり、稲苗の育ちが影響しているか。
隠居までのルートは決まっている。平地はあえて山際の田んぼの道を行く。渓谷にも水田はある。
水田が中心の集落は“水社会”だ。上流の田んぼから水が来ないことには、代かきも田植えもできない。
平野に広がる神谷耕土を潤すのは、小川町・三島の夏井川から取水した「小川江筋」(農業用水路)。地域内の田んぼの水の流れを考えれば、田植えを早めても遅らせることはできない。早め早めにコトを進める人がいて、それが積み重なって、結局、神谷耕土の田植えはほかより早くなったか。“平窪耕土”は代かきの真っ最中、“小川耕土”も似たり寄ったりだった。
そうだ、昔は梅雨時が田植えのピークだった。小学校6年の、たぶん6月。阿武隈の山里から汽車で小名浜港へ、日帰りの修学旅行が行われた。夏井川渓谷を過ぎると、急に平野が広がる。今は、そこが小川町・片石田だということがわかる。人がいっぱい出て田植えをしていた。
60年前の記憶が、片石田を通るたびによみがえる。そこでは田植えが始まったばかりだった。人はおらず、トラクターが1台、水の張られた田んぼを行き来していた。
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