この山奥の小盆地に、平成11(1999)年度まで小川小戸渡分校があった。建物は今も残る=写真上。
昭和34(1959)年11月12日、分校児童・生徒(当時は中学校の分校も兼ねていた)がヤマユリの球根約2千個を集め、皇居の吹上御苑に献納した。
同36年6月1日、小名浜の放魚祭に皇太子夫妻(現天皇・皇后両陛下)が臨席した際、平(現いわき)駅で戸渡分校生と対面し、美智子さまがヤマユリのお礼に『新美南吉全集』(3巻)を贈る。初めは戸渡分校を訪れる考えもあったようだが、あまりにも遠く道が悪いために平駅での対面となった。分校の子どもたちも前日、十文字を越えて本校に泊まり、対面に備えたそうだ。
さらに同年11月3日、東宮御所にヤマユリの球根300個を献上する。お礼に皇太子がメタセコイアの苗木5本を贈った(上の写真右奥にそのメタセコイアが3本見える)。
皇太子夫妻と戸渡分校生の心温まる交流をメディアが取り上げた結果、同分校はやがて「ヤマユリ分校」として知られるようになる。
――きのう(5月3日)は雨。家にこもって、あれこれ戸渡分校関係の資料を引っ張り出しては読んでみた。ヤマユリ分校の先生の“回顧録”で、皇居と分校がつながったワケを知る(いや、思い出す)。
先生は子どもたちの作文を、ガリ版文集「やどりぎ」にして発行していた。それが、小川町出身者のある人の目に留まった。分校に古本を寄贈するなどして交流が深まった。
修学旅行で東京へ行ったある児童は、作文に、皇居は豪華で寂しいところ、草花一本見えない、ぼくたちの周りにいっぱい咲いている百合(ゆり)で皇居を飾ってやりたい――といったことを書く。それら修学旅行記を収めた号外「やどりぎ」がメディアに取り上げられた。交流のある町出身者は元侍従次長を知っていた。この2人が橋渡し役を務めた――。
これらの“検証”のため、総合図書館のホームページで地元紙・いわき民報をチェックしたが……。平駅での対面は大々的に報道しているものの、それ以外の記事は見当たらなかった。戸渡は、取材するには遠すぎる。徒歩はもちろん、自転車で行けるようなところではない。現地取材は見送ったか。
先生の回顧録も、年月日が少々ゆるやかだ。そのまま引用するわけにはいかない。結局、年月日は手元にある冊子『自立・循環の村へ とわだリターンプロジェクトの取り組み』(2012年、同プロジェクト発行)に収められている「戸渡分校の沿革」に従った。
平成元(1989)年5月3日には、天皇陛下の即位を記念して「皇室と戸渡分校」の交流を伝える石碑が分校の前に建てられた=写真左上。その平成もあと1年で終わる。
0 件のコメント:
コメントを投稿