2018年8月21日火曜日

Nスペ「届かなかった手紙」

 酷暑が続いたこの夏は、ふだんより1時間余り早く起きて、1時間余り早く寝る極私的サマータイムを実施してきた。自然にそうなった。月遅れ盆をはさんで、急に秋めいた今もその傾向が続いている。
 きのう(8月20日)も4時半に起きた。前の晩はしかし、NHKスペシャル「届かなかった手紙――時を越えた郵便配達」を見て、寝る時間が遅くなった。途中、目が覚めて、ベッドで本を読んでいたこともあって、日中は寝不足気味だった。

 新聞の番組紹介記事を記す。「太平洋戦争中、戦場の兵士と故郷の人々の間を行き交った『軍事郵便』は、年間4億通。しかし戦況が悪化するにつれ、届かない手紙が増えていった。米軍などに押収され、多くが返還されなかったのだ。いま、そうした手紙が国内外で次々と見つかっている。番組では、遺族などを捜して未配達の手紙を届けることにした」(福島民報)

 番組スタッフが遺族を捜し当て、戦時中に書かれた手紙を届ける――これが、この番組のポイントといえばポイントだ。

アジア太平洋戦争が終わって73年。一般的には、過去が青空になる長い時間が過ぎたが、遺族によっては、いまだに肉親の死が信じられず、あきらめきれない。死んだ肉親よりはるかに高齢となった弟や妹たちが、「届かなかった手紙」を手にし、読み始めると間もなく、うめくように、叫ぶように涙する。「戦争は嫌」。理不尽な死をもたらす戦争への悲憤、切々とした平和への思いが視聴者にも伝わってくる。

(硫黄島で死んだ私の母の兄、つまり伯父の遺影を思い浮かべながら、番組を見た。遺骨も遺品もない。後年、同島で父親が亡くなったいわき地域学會の先輩が、島へ慰霊の旅をした。そのとき持ち帰った浜辺の黒い砂を譲り受け、わが家でまつる分を除いて、実家と伯父の家に届けた。それが唯一の“遺品”だ)

 たしか、耳の聞こえない妹を気遣った兄の手紙だったと思う。番組スタッフからそれを受け取った妹は「初めて触れられる兄の残したもの ありがとうございます」。そして、「兄を忘れたことはありません 生きて帰ってほしかったです 残念でなりません」=写真、「夢の中では兄と話ができてうれしいのですが 朝がくると兄が消えてしまうのです」と続ける。このくだりに、つい、もらい泣きしてしまった。

 8月は戦争と平和を考える月だ。メディアには、「カレンダージャーナリズム」と揶揄されようと、戦争と平和に深く切り込むような記事と番組が求められる。他局の番組は知らないが、NHKに関していえば、今年はずいぶん頑張っている印象を受けた。

Nスペでは、「広島 残された問い――被爆二世たちの戦後」(8月6日)、小野文恵アナウンサーの「祖父が見た戦場――ルソン島の戦い 20万人の最期」(同11日)、「“駅の子”の闘い――語り始めた戦争孤児」(同12日)を見た。ETV特集「自由はこうして奪われた――治安維持法 10万人の記録」(同18日)も見た。

優れた番組・記事とは、私のなかでは、淡々と個別・具体に触れながら、普遍に至る――そういう組み立てができているものだ。「届かなかった手紙」は、その意味では傑作の部類に入るのではないか。番組をつくるスタッフ自身が「郵便配達人」になる。その当事者性もまた番組に誠実さと奥深さを与えていた。

0 件のコメント: