5月から9月まで月1回(8月は休み)、中央公民館主催の市民講座で話をしている。8月は休み、そのうえ猛烈な暑さが続いたこともあって、こちらはすっかり頭がお留守になっていた。
講座のタイトルは<「洟をたらした神」の世界>で、吉野せいの同題の短編集をテキストに、作品に出てくることばの“注釈”をしている。
話を終えてからわかることがある。前にも書いたが、5月8日に1回目の話をしたとき、せいが友人の女性教師と映画「西部戦線異状なし」を見に行ったことを紹介した。その時点では、映画を見た年月日も上映館も不明だったが、その後、デジタル化された当時の地域新聞をめくっていて、映画「西部戦線異状なし」の広告に出合い、一気に情報量が増した。
上映期間は昭和6(1931)年9月10~13日、映画館は平・南町の平館――。学校の先生が同行者だったことを考えると、2人は土曜日12日の晩に出かけたのではないか、という推測が成り立つ。吉野義也・せい夫妻が次女梨花を亡くしてから8カ月余りたっていた。せいが、その痛手から回復しつつあることを示すエピソードでもある。
市民講座の会場はティーワンビル内のいわき市生涯学習プラザだ。4階エレベーターホールとロビー壁面を利用して、同プラザ開館15周年記念の特別展「写真に見るいわきの映画館――娯楽の王様映画の記憶」が開かれている。この特別展に探索のヒントがあった。
平館の写真が飾られている=写真。キャプションに「活動写真専門館・平館/大正6年 いわき市平南町」とあった。
キャプションの出典は『いわき市史 第6巻 文化』(1978年)だろう。同書の<映画>編にこうある。明治38(1905)年暮れ、いわき地方で初めて活動写真(映画)が公開される。その後、活動写真が急速に普及し、「芝居専門の劇場が兼用となり、活動写真専門の劇場が生まれてくる(略)。すなわち大正6年(1917)南町に平館が建設された」
平館のあった場所は、本町通りから南へ一つ入った通りで、以前は割烹金田がいわき駅前から改築・移転し、今はそのまま海鮮四季工房きむらやいわき店が引き継いでいる。
写真では、平館の前に堀が見える。江戸時代の磐城平城の外堀のひとつだろう。建物がなんともモダンだ。写真の左上には内部の写真がはめ込まれている。これまたしゃれた雰囲気に満ちている。同じ『いわき市史
文化』の<建築>編には、しかし残念ながら平館の記述はない。
最初、平館の写真と吉野せいが結びつかなかった。それが、新聞広告を探り当てることで、「写真に見るいわきの映画館」展を思い出し、平館の写真とつながった。
情報はばらばらに埋まっている。掘り出せないだけだ。掘り出しても結びつけられないだけだ。前もって地力=知力がついていたら、もっともっとせいの内面に踏み込んだ話ができたはずだが、問屋は簡単には卸してくれない。
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