前にも書いたことがあるが、いわきの人間は、母親の胎内にいるときからじゃんがらにふれて育つ。じゃんがらはいわきのリズム、いわきの音だ。
いわき市内各地の青年会が踊りを継承している。その基本形は変わらない。が、最近は少子時代の影響を受けて人集めに苦慮しているらしい。青年男子の数が足りない。地域を越えて女子や助っ人が加わる――見たり聞いたりした話を総合すると、そういう状況にあるようだ。
今年(2018年)初めて、小学生が加わった青年会チームを見た。あるところでは、子どもじゃんがらチームの人数がそろわずに活動が休止になった、とも聞く。
その一方で、じゃんがらフリークは増えている。女子だけのチームができたのもそのためだろう。もともとは誰もが参加できる享楽的な踊りだったようだから、青年限定の“呪縛”が解かれただけにすぎない、ともいえるが。
私の住む神谷(かべや)地区は、江戸時代には笠間藩の分領(飛び地)だった。そのためかどうかはむろんわからないが、青年会は新盆供養に、じゃんがらではなく「笠踊り」を披露する。
おとといがそうだったように、きのうも午後、雷雨に襲われた。いったんにわか雨が去ったあとにまた雨が降り始めた6時過ぎ、笠踊りのおはやしが聞こえてきた。朝、女性じゃんがらが来た家に、宵になって傘踊りのチームがやって来た。
150年前の戊辰戦争では、笠間藩は「勝ち組」に入った。神谷は分領の中心だった(陣屋があった)。住民としてはいささか複雑な思いで「戊辰150年」を過ごしている。月遅れ盆も、じゃんがら念仏踊りに笠踊りが見られる。いわきの中では少し変わった地域だ。
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