2018年9月21日金曜日

「当地方の人の声は重苦しい」

7月下旬以来、およそ2カ月ぶりの“古新聞”シリーズ。7回目は今から94年前の、大正13(1924)年11月19日付常磐毎日新聞で、ほんとかいな、といいたくなるような話。
見出しに「当地方の人達の声は/海音の影響を受けて/重苦しくザラザラしている/音楽家の耳に響く」(旧漢字は新漢字に、歴史的仮名遣いは現代仮名遣いに、熟語や送りも現代の表記に替えた)=写真=とある。

常磐毎日の記者が、磐城高等女学校(現磐城桜が丘高)の音楽演奏会を前に、音楽教師田中金三郎氏を取材した。授業を通して痛感している地方色=特色を尋ねると、次のように答えた。

「私が当校に赴任して初めて異様に感じた事は当校の生徒達が関西地方の生徒等と全然異なった声のリズムを有している事です。何となく重苦しい圧迫を感じさせるような声で全然華やかさがありません」

「生徒達の歌う声を聞いていると極めてザラザラした感じです。これは当地方が海岸に接近しているために海の音の影響を受けているのだと思われます。自然そのものの影響が確かにそこに生い立つ人々の体はもちろん精神にまで及ぼす事は言うまでもないのですが、声の量や調子にも異なった趣きを持たせる事は非常に興味深く感ぜられます」

磐城高女の生徒たちの声、広くいわき人の声の特色は、重苦しくザラザラ(原文見出し「サラサラ」は誤植)していることだという。重苦しいのは、なんとなくわかる。が、ザラザラが海の音の影響というのはどうか。高女に通学しているのは沿岸部の生徒ばかりではない。逆に、海岸から離れた内陸部の生徒が大半だろう。当時も、首をかしげる読者はいたにちがいない。

 むしろ面白いのは、「教授の際に全く困る事は発音の誤りです」という最後の部分。

「当地方の生徒にはイやエ、ヘやヒの使い分けが全然出来ません。そのために歌の感じが出なくて困る場合があるのです。これは国語教授の普及と相まって矯正して行く必要があると思います」

 生徒だけではない。大人である記者自身も「ヘやヒ」の使い分けができていない。記事原文に「ヘやヒの使へ分け」とある。「使へ分け」は「使ひ分け」の誤りだが、記者自身それに気づいていない。この記事に限らず、多くの古新聞に「使へ分け」的な誤用がみられる。音楽教師のこの指摘の方こそ、当時のいわき地方の言語実態をよくあらわしている。

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