2024年11月30日土曜日

続・季節のお福分け

                     
 お福分けのハヤトウリの話(11月29日)の続き――。この秋も後輩から季節のお福分けが届いた。9月初旬の青パパイアが最初だった。

 後輩はビニールハウスでパパイアの栽培を始めた。今は自宅裏に広がる畑で露地栽培をしている。

フェイスブックに投稿した文章によると、露地栽培に挑んで3年目になる。試行錯誤を繰り返しながら、年々栽培本数を増やしているという。

先日、四倉町塩木の仁井田川沿いで、パパイアの露地栽培を手掛けている人の話がいわき民報に載った。

いわきの人間にとっては、青パパイアは新しい食材だ。その栽培に挑む人間が複数いるというだけで、趣味を超えた「業」としての広がりと可能性を感じるようになった。

まずは縦に割って未熟な白い種を取り除き、ピーラーで皮をむいたあと、カミサンに頼んで炒め物にしてもらった。

晩ごはんのおかずになって出てきたが、やわらかくて、さっぱりした食感がごはんに合った。

青パパイアのあとは落花生、それから日をおいてフェイジョア=写真、はちみつなどが届いた。

落花生は「おおまさり」。殻ごと塩水でゆでた。ホクホクしてやわらかかった。乾燥して硬い落花生は子どものころから口にしているが、生をゆでて食べるという発想は、若いときにはなかった。

それを知ったのは7年前だ。平・本町通りで「三町目ジャンボリー」が開かれたとき、好間の生木葉ファームが出店し、勧められるままに生の落花生を買った。

 3%の塩水でゆでるといい、といわれた。晩酌のつまみに塩ゆで落花生が出てきた。殻を取ったピーナッツの硬さしか知らない人間には、枝豆のようなやわらかさが衝撃だった。ほくほくして、ほのかな塩味が効いていた。

 フェイジョアも、いわきの人間には新しい果物だ。自然に落果したものを追い熟させてから食べる、とネットにあった。

 手に取ると少しやわらかくなっている。それを四つに切って、果肉をスプーンですくって食べた。ほのかな甘さが口の中に広がった。

 ほかにも、カミサンの知り合いが柿やリンゴやミカンを持って来た。今は晩酌を控えている。で、晩ごはんのあとに果物が出てくる。

 ある晩は、ゴボウとニンジンのきんぴら、あるいは煮魚といった具合に、カミサンは「手抜きができる」と喜んだ。

 スダチを袋にいっぱいもらったこともある。さすがにわが家だけでは使い切れない。カミサンがあちこちにお福分けをした。

『徒然草』に「よき友」の話が出てくる。第一番が「物をくれる友」だ。消費生活は「売り買い」だけでなく、お福分けの循環にも支えられている。安く貧しくなった日本では、この循環がますます大事になる。

2024年11月29日金曜日

季節のお福分け

                     
 日曜日の午後遅く、帰宅するとすぐ、知り合いの奥さんがハヤトウリ=写真=と大根を持って来た。去年(2023年)も同じころ、ハヤトウリやナスなどをいただいた。

古巣のいわき民報に拙ブログを転載している。ときどき、糠漬けの話が載る。うまく漬けられなかった、もっと工夫しなくては……。失敗談に半分同情しながら、糠漬けの材料を提供する気になったようだ。

まずは去年の記録(ブログ)を読み返す。皮はどうしたか。ピーラーでむいて、縦に四つに割って未熟な種を取り除き、糠床に入れた。皮が薄いので、むかなくてもよさそうだったが、念のためにそうした、とある。

1回目は24時間ほど漬けたが、2回目は18時間に短縮した。まる一日では漬かりすぎの感じがしたからだった。

切り方にも工夫が要ることを知った。最初、たくあんのように厚めに切ったら、文句が出た。私はその方が、歯ごたえがあっていいのだが、食べてもらうには切り方を変えるしかない。

同じ日曜日に好間の生木葉ファーム(直売所)からニンジンなどを買ってきた。ここのニンジンはやわらかい。まずはハヤトウリ、ニンジンを四つに切って糠床に入れた。

そのあと、去年の記録を参考にしながら、ハヤトウリのレシピを検索した。糠漬けのほかに、きんぴらや炒め物があった。

「豚肉とハヤトウリの味噌炒め」ならすぐできそうだ。カミサンにお願いして作ってもらう。

ハヤトウリは薄切りだ。やわらかくて、味噌の味が染みている。少し甘かったが、いいあんばいに仕上がった。

ハヤトウリのいいところはこれかもしれない。癖がない分、どんな味にも染まる。この自在さがハヤトウリの魅力だろう。

ハヤトウリは、今季は二度目だった。最初は10月下旬、川内村へ行った際、直売所の「あれこれ市場」で買った。

1回目は24時間、2回目はプラス半日で36時間、糠床に漬けた。どちらも漬かっていたが、36時間の方がご飯のおかずにはよさそうだった。

去年と今年とでは糠が違うし、塩分も異なる。その都度、糠床に合わせて時間を計るしかない。今年は塩分が少ないようだ。

去年の経験から、皮はむかなくても気にならないことがわかっている。で、今年はそのまま四つに割って糠床に入れた。

漬けてからざっと30時間。やわらかくなったニンジンとハヤトウリを取り出して試食する。

ニンジンは、もともとやわらかいので漬かりも早い。ハヤトウリもそれなりに漬かっていた。

ハヤトウリはなんといってもシャキシャキした歯ごたえが持ち味だ。残りもちょっと置いて糠床から取り出した。しばらくはこれでごはんのおかずに悩まないですむ。初冬の「口福」である。

2024年11月28日木曜日

食べるために読む

                             
   今回は本に合わせて平仮名「きのこ」でいく。増野和彦『森のきのこを食卓へ――里山で、家で、おいしく楽しむ小規模栽培』(築地書館、2024年)=写真=を、図書館から借りて読んだ。

著者は長野県林業総合センターできのこの育種・栽培技術の開発に携わった専門家だ。

現在は日本きのこマイスター協会理事を務める、きのこ栽培のエキスパートの一人でもある。

家でもできるきのこ栽培のノウハウを公開した本だが、こちらはそこまでの意欲はない。

震災前に一度、シイタケ菌を打ち込んだ原木を3本買って、夏井川渓谷の隠居の林床に置いたことがある。

春と秋になると、それなりにシイタケが発生した。が、私には、ただそこに置いただけ、栽培したという実感はなかった。

震災と原発事故がおきると、いよいよきのこは撮って(採って、ではなく)、栽培物を買って食べるだけになった。

ただし、味噌汁に欠かせないナメコがどういうふうに栽培されるのかは知っておきたい。知れば知るほど、おいしく食べられる――そんな思いはある。増野さんの本もそのへんから始まっていた。

ナメコのほかにヤマブシタケ、クリタケなどの栽培方法が紹介されているが、ここではナメコに絞って書く。

元福島県林業試験場長庄司当さんの『ナメコのつくり方 原木栽培・オガクズ栽培』(1977年)に、面白いエピソードが紹介されている。

相馬地方の農家では、冬の農閑期、出稼ぎの男性に代わって、主婦たちがオガクズを利用したヒラタケの箱栽培を共同で始めた。

たまたまナメコの種菌をヒラタケ種菌と間違えて植菌したのがあり、しかも原木ナメコと同じものが大量に発生し、ヒラタケよりも高値で取引された。

 この「偶然」からヒラタケとともにナメコ栽培も始めるようになったようだと、庄司さんは書いている。

私は、スーパーや道の駅へ行くと、必ず栽培ナメコを買う。最近は、傘ができたばかりの幼菌よりは、成菌に近い大きめのものを選ぶ。店の品ぞろえも幼菌だけでなく、傘の開きかけた成菌を並べるようになった。

たいていは豆腐とナメコの味噌汁にする。味噌汁にぬめりが溶け出して、ナメコだけでなく味噌汁も喉ごしがいい。

ぬめりの正体はムチン。食物繊維のひとつで、胃や鼻の粘膜を丈夫にするらしい。ナメコ自身の乾燥も防ぎ、防寒コートの役目も果たすという。

原発事故以来、いわきでも野生きのこは食べたり出荷したりできなくなった。それで、慣れ親しんでいた栽培ナメコがウラベニホテイシメジやタマゴタケ、ナラタケ、その他もろもろのきのこの舌ざわり・味・見た目の象徴になった。

大型ナメコにするには菌床栽培の培養期間の終わりに10日間ほど青色LEDを照射するそうだ。なるほど。ナメコの育て方がよくわかった。

2024年11月27日水曜日

建物火災

                      
   日曜日(11月24日)は通夜に行くため、夏井川渓谷にある隠居から早めに帰宅した。

遅い昼食を終えて一休みしていると、家の前の旧道をポンプ車がサイレンを鳴らして通り過ぎた。少し間をおいてまた1台、通っていった。

サイレンがすぐやめば現場は近い。そうではなさそうだ。が、2台も来るとなると、燃え方が気になる。

2階の窓から見ると、左側の家並みのちょっと先から黒煙が立ち昇り、右側へと空を覆いながらたなびいていた。

防災メールで確かめたら、現場は隣の行政区で、建物火災だった。午後1時半過ぎに火災が発生した。わが家からはざっと600メートル先だ。

その後も国道をポンプ車が通り、旧道を、消防士を載せた車が通っていった。黒煙はすぐには収まりそうになかった。

メディアによると、火元は民家の物置で、そこから隣家に燃え移った。全焼した隣家は旧道沿いにある。

3時前、いつもの時間よりは早めに魚屋へカツオの刺し身を買いに行った。ふだんは国道を利用し、帰りは旧道を通る。

旧道はポンプ車が止まっていて通れないはず。わが家の方から行くと、マルト(神谷)付近で通行止めになっているはず――その通りだった。まだ黒煙が盛んに立ち昇っていた=写真。

刺し身を買ったあと、また国道を利用して戻ったが、黒煙はやはりもくもくと空に立ち昇り、海側へ流れていた。

小学校2年生のときに阿武隈の山里で大火事を経験した。4月半ばの宵のうちに一筋町の西の方で火災が発生した。

火の粉は折からの強風にあおられて屋根すれすれに飛んで来る。そうこうしているうちに紅蓮の炎が立ち昇り、かやぶき屋根のあちこちから火の手が上がる。町はたちまち火の海と化した。

一夜明けると、見慣れた通りは焼け野原になっていた。住家・非住家約500棟が焼失した。

少し心身が不自由だった隣家(親類)のおばさんが、近所の家に入り込んで焼死した。

「近所で火事」と聞くと、子どものときの、この記憶がよみがえる。今度の火事ではさいわいけが人はいなかった。

翌日の午後遅く、用事をすませた帰りに旧道を利用し、火災現場の前を通った。全焼した家はかろうじて外観を保っていた。が、2階の屋根の真ん中が丸く焼け落ちている。内部が激しく燃えたようだ。

家が焼ければたちまち衣・食・住に窮する。いとおしんだものたちが失われる。そのことを思って暗澹たる気持ちになった。

2024年11月26日火曜日

「わたしメッセージ」

                     
   もう1カ月前になる。いわき市文化センターで家庭教育支援者いわき地区研修が行われた。

那須塩原市在住の親業訓練シニアインストラクター大屋弘子さんが「コミュニケーションスキルを高めよう」と題して講演した。

地域の青少年育成市民会議に関係しているので、事務局(公民館)のスタッフと一緒に聴講した。

 内容としては現役バリバリの親業、つまりは小中学生を持つ親を対象にした家庭教育講演会だった。

 とっくに子育てが終わった身としては、手遅れながらも自分の親業を反省する機会にはなった。

その反省を、親業を実践している現役へのアドバイスに生かすしかない。そんな思いで今もときどき講演資料=写真=を読み返している。

講演のテーマにもなった「コミュニケーションスキル」とはこの場合、「親子の会話術」のことだろう。

子どもの心を閉ざす対応=親子の会話を壊しやすい「おきまり」の12の型があるという。例えば「3分間スピーチ、やりたくない」と言っている子どもに対する親の態度。

命令(皆がやるんだから、やりなさい)、脅迫(やらないと成績に響くよ)、説教(人間は我慢してやらなければならないことがあるのよ)から始まって、提案・講義・非難・賞賛・侮辱・解釈・尋問・ごまかしと続く。

提案は「原稿用紙に書いて、読んだらどう」、非難は「まったくダメな子ね」、侮辱は「たった3分でしょう、情けない!」などだ。

では、子どもの心を開く聴き方とは? 共にいる・沈黙・あいづち・うながしがキーワードで、子どもの話を受容し、共感しながら正確に聴くことが大切なのだとか。

そして、子どもの心に届く話し方とは、「わたし」を主語にして、率直に自分を語ることだという。

 たとえば、子どもが返事やあいさつをしないとき。「返事もあいさつもできないのか! 全く情けない」といった「あなたメッセージ」(子どもに対する指示や命令)では子どもに届かない。

そうではなくて、「名前を呼んでも返事がないし、おはようって言っても黙っていられると、テンションが下がっちゃうし、つまんないな」と、「わたしメッセージ」に切り替える。

 そのうえで「『おはよう』ってあいさつが返ってくると気持ちがいいな」といった肯定の感情も伝える。

 要は、一方通行ではなく、肯定の感情(うれしい・ほっとする・助かるなど)も伝えながら、子ども自身が答えを出していくように持っていく、ということなのだろうと理解した。

 すでに卒業した親業としてはともかく、「夫業」としても応用が利くかもしれない。あるいは、地域の子どもに対して、広く肯定の感情を抱くことは可能かもしれないと思ったがどうだろう。

2024年11月25日月曜日

エティオピア物語

                                
   岩波書店のPR誌「図書」2024年11月号を読んでいたら、「古代小説の最高峰とされるヘリオドロス『エティオピア物語』」という文言に出合った。1700年ほど前につくられた小説だという。

 西洋古典学者の中務哲郎さんが「『エティオピア物語』 とぐろをまく蛇」と題して寄稿したエッセーの中に出てくる。

 日本の『源氏物語』は俗に「世界最古の小説」と言われている。それが成立したのは、平安時代中期の11世紀初めごろ、とか。つまり、1000年前だ。

『エティオピア物語』よりはずっと新しいのに、なぜ「世界最古」なのか――というあたりから、しろうとの調べが始まった。

1925年、アーサー・ウェーリー(イギリスの東洋学者)が『源氏物語』の最初の巻を英訳・出版する。

堀邦維(くにしげ)『海を渡った日本文学――「蟹工船」から「雪国」まで』(書肆侃侃房、2023年)によると、サイデンステッカーとキーンはそれぞれ、この英訳『源氏物語』から日本文学研究の道に入った。

ヤフー知恵袋によると、アーサーは、英訳では和歌の多くを割愛し、翻訳した和歌は散文に変更した。

すると、欧米の読者は詩文(和歌)の部分を文章で読み、「すばらしい心理描写の文章だ」と誤解した。

これが、欧米における「世界最古の心理主義小説」、そして源氏物語の決定的なイメージになった。

つまり、恋愛を主題にした「源氏物語は世界最古の小説」というのはこうした背景から生まれた。しかしそれはまちがいだし、源氏物語から勝手な冠をはずさないと源氏物語がかわいそうではないか。

というわけで、源氏物語と関係なく、「古代ギリシャの恋愛冒険小説」である『エティオピア物語』と向き合うことにした。

中務さんのエッセーは、岩波文庫から上・下2巻で出た『エティオピア物語』のPRだが、いわきの図書館には「上」しか入っていない。しかも、貸出中だ。

代わりに、「書籍アレクサンドリア図書館第12巻」として、下田立行訳『エティオピア物語』(国文社、2003年)があったので、それを借りて読んでいる=写真。

2人の監修者のうち、1人は中務さんだ。岩波であろうと、国文社であろうと、中身に変わりはあるまい。そう思って、国文社本を読み始めたら……。

――今しもうららかな一日が明けようとして、日の光が山の尾根を明るく照らし出していた。ナイル河が海にそそぐ、ヘラクレス河口と呼ばれる地点を見下ろすように延びる丘の上には、盗賊のようななりをした男たちが幾人か見張りについていた。(以下略)

中務さんが「図書」で紹介している冒頭部分と一字一句違わない。訳者はとみれば、岩波文庫も下田立行だ。

ということは、国文社本をそっくり岩波文庫本にしたのか。だとしたら、出版社同士で話し合いがもたれたのだろう。よけいな心配かもしれないが――と、つい思ってしまった。

2024年11月22日金曜日

シニア向け広告

            
   このごろは宵のテレビ視聴が変化しつつある。地デジでニュース番組を見るのは変わらない。が、カミサンに引っ張られて、早い時間からBSで時代劇を見たりする。

すると――。その時間ばかりでもないのだろうが、筋肉痛や神経痛、手足のしびれなどに効くなんとか薬品、といったCMがやたらと目に付く。

こちら(視聴者)にも心当たりがある。ときどき目がかすむ。ひざが痛くなる。手足がしびれることもある。

つい身を乗り出して見る。番組が終わってから30分以内に電話をかけてください、あるいは初回限定でいくらいくらまで安くなります……。

ほかにも医療保険、介護サービス、カツラ(ウイッグ)など、シニア向け商品のCMが目に飛び込んでくる。

たまたま地デジで若いタレントが出演する番組を見ていたら、CMはちょっとしたマチならどこにでもある、あのマークのハンバーグだった。

ああ、そうか――。シニア世代は、あんな分厚いハンバーグは口にしない。スポンサーは番組の主な視聴者を対象に商品を売り込む。つまり、シニアは念頭にないということだろう。

前に雑誌やテレビ業界の内側を伝える本を読んだことがある。そのときに知ったのは、世代・性別による絞り込み(雑誌)、そしてテレビの「コア視聴率」や「視聴率区分」といったことだった。

視聴者はC(チャイルド=4~12歳)、T(ティーン=13~19歳)、それ以上は男女のM(マン)・F(フィーメル)を冠したM1・F1(20~34歳)、M2・F2(35~49歳)、M3・F3(50歳以上)に区分される。

つまり、放送する側は主に何層をターゲットにするのか、世代・性別8区分を意識して番組を製作する、ということのようだ。

BSの時代劇をCMから逆にたどると、「コア視聴者」はM3・F3のシニア世代ということになる。

そんなことを考えていたら、11月中旬の県紙に、シニア向けの全面広告=写真=が3本も入っていた。

冒頭に紹介したような関節痛・神経痛・筋肉痛などに効く医薬品、耳の「キーン」「ジージー」を蜂の子パワーで解消、もの忘れに効く脳内核酸――と、いずれも通販の広告だった。

テレビか活字かは関係がない。新聞もすっかり高齢者が「コア読者」になってしまったということだろう。

もっとも、とうの昔から若者のオールドメディア=新聞・テレビ離れはいわれていたことだが。

2024年11月21日木曜日

自転車には注意を

                     
 腹を立てたまま、夏井川の堤防へ出た。新川が合流するところに、今季初めてハクチョウが飛来していた=写真。

すると腹立たしさが消えて、気持ちがスーッと落ち着いてくるのがわかった。ハクチョウ様々だった。

腹立たしさの原因? 若い女性が乗った自転車だった。平・鎌田地区。大学があるので、いつも留学生が歩いていたり、自転車に乗ったりしている。

国道に架かる橋のたもとを左折して道を下り、別のところから堤防へ出ようとしたとき、橋上の歩道をそのまま走ってきた自転車が、安全も確かめずに車の直前を横切った。

左折しかかっていたので、ブレーキをかけなければ自転車ごと女性をはねていたことだろう。

まっすぐ横切るかもしれない――恐れた通りに、何のためらいもなく目の前を直進した。

クラクションを鳴らした。鳴らし続けた。それでも、相手は知らんふりをして遠ざかっていく。

これが初めてではない。やはり国道から同じ交差路を左折し、夏井川の堤防を利用して、住宅が密集する路地からわが家のある旧道へ出ようとしたとき――。

左側は民家の生け垣になっていて見通しが悪い。車は標識に従って一時停止をしないといけない。

一時停止をするとすぐ、生け垣の角から外国人の乗った自転車がブレーキをかけずに突っ込んできた。

こちらは止まったままだ。自転車の外国人もびっくりしたのだろう。右折したと思ったら目の前に車が止まっている。衝突を避けるためにブレーキをかけながら転倒した。

けがはなかったようだ。「スミマセン」。立ち上がって脇を通り過ぎながら、日本語で謝った。

少子高齢社会による人手不足を補う、という面もあるのだろう。このところ、地域では留学生を含む若い外国人が住み暮らすようになった。

それで知り合いになった外国人もいる。「郷に入れば郷に従え」で、ごみ出しルールや交通ルールを守っている限り、「外国人だから」と問題になるケーズはまずない。

ルールが自己流のとき、トラブルが起きる。車を運転していて、一番気を遣うのは、このマイルールの自転車だ。

外国人に限らない。年寄りもそうだ。簡単に車道を逆走する。本人には逆走している意識がないらしい。信号も気にしない。とにかく好きなように走っている、としかドライバーには見えないのだ。

 そういった潜在的な危険性、そして重大事故の多発が道路交通法の改正につながったのだろう。

 11月から自転車を運転中にスマホなどを使用する「ながら運転」や、酒気帯び運転などが罰則の対象になった。

「ヒヤリハット」が連発するような社会では困る。そうならないために、自転車運転の怖さを認識してもらうしかない。事故を起こしかねなかった人間として、切にそう思う。

2024年11月20日水曜日

最期の好奇心

              
 枕元に積み上げてある本の中に、レイチェル・カーソン/上遠恵子訳『センス・オブ・ワンダー』(新潮社)がある。

わずか60ページほどの掌編で、ふだんは睡眠薬代わりなのだが、寝そびれるとつい読みふけってしまう。

レイチェル・カーソン(1907~64年)は『沈黙の春』で世界的に知られるアメリカの作家・海洋生物学者だ。

同書は、DDTの空中散布後、庭にやって来たコマツグミが次々に死んだ、という友人の手紙をきっかけに、長い調査期間を経て、世界にさきがけて環境汚染と破壊を告発した本として知られる(訳者あとがき)。

彼女は『沈黙の春』を執筆中にガンにおかされた。本を書き終えたあとに最後の仕事として、母親向けの雑誌に発表した『センス・オブ・ワンダー』を肉付けし、単行本化を考えたが、それはかなわなかった。

若いころ、レイチェルは姪の息子のロジャーとともに、家の近くの海岸を、森を巡った。晴れの日も、雨の日も、夜も昼も、一緒に自然を楽しむために。『センス・オブ・ワンダー』はその記録と考察の書でもある。

センス・オブ・ワンダーのそもそもの意味は、「不思議さに目を見張る感性」だという。

もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら――と、レイチェルはいう。

世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー」を授けてほしいとたのむでしょう。

センス・オブ・ワンダーは大人になっても消えない。たとえば、夏井川渓谷にある隠居の庭で、ネギが発芽し、頭に黒い種の殻を載せているのを見たとき。あるいは、ハクチョウが鳴きながらわが家の上空を通過していくとき。その美しさに見とれてしまう感覚を、私はセンス・オブ・ワンダーだと思っている。

センス・オブ・ワンダーは「やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです」。

真夜中の、寝床での読書で知った「解毒効果」だった。と同時にもうひとつ、心に刺さった言葉がある。

小さな本の最後に、スウェーデンの海洋学者、オットー・ペテルソン(1848~1941年)が息子に語ったという言葉が紹介されている=写真。

 「死に臨んだとき、わたしの最期の疑問を支えてくれるものは、この先になにがあるのかというかぎりない好奇心だろうね」

 人間の最期の疑問、死の先にあるもの……。これは読み過ごしてきたというか、そこまで『センス・オブ・ワンダー』を読み切っていなかった。

 詩人の谷川俊太郎さんが11月13日に亡くなったことを19日に知った。詩人もまた最後の瞬間、「この先になにがあるのか」と、薄れてゆく意識のなかでペンをとろうとしたのではないか、そんな気がしてならない。

2024年11月19日火曜日

まだアサガオが

            
   注意報関連の防災メールで、夏から冬への大気の変化を感じ取ったのは10月20日だった。

それまで連日のように「雷注意報」が発表されていたのが、「霜注意報」に切り替わった。

子どものころは、夏になるとよく夕立に見舞われた。特に、小学校の夏休み。川で水浴びをした午後、急に雷雨がくる。

落雷を恐れて家の雨戸を閉め、電気を消して蚊帳のなかに避難する。仏壇の線香立てを廊下に持ち出し、線香に火をつけて雨戸のすき間から煙を外へたなびかせる――。ざっと65年前、昭和30年代前半の記憶だ。

だから、雷注意報と聞けば、夕立がまず思い浮かぶ。ところが、近年は夕方に限らない。宵に、夜更けにと、時間を選ばなくなった。

庭に車を止めている。雨が降ると、轍(わだち)に水たまりができる。車を動かすたびにタイヤが泥をはねる。

それがいやで、轍の水が消えるまで庭の旧物置跡に突っ込むようにして車を止める。ところが、その轍の水たまりがなかなか消えない。そんな状態が今も続いている。

雷注意報が連発されるのはやはり、大気が不安定になっている証拠だろう。それがやっと落ち着いたと思ったら、もう北国から初雪の便りが届くようになった。11月も後半である、寒い季節になったのだと、頭では納得しようとする。

日曜日(11月17日)に夏井川渓谷の隠居へ行って少し土いじりをした。カミサンが着くやいなや、声を上げた。「まだアサガオが咲いてる、それもいっぱい」

枯れずに咲き続けていたか。というのは、今季初めて霜注意報が発表された10月20日、隠居の下の庭を歩いていて、アサガオがびっしり咲いているのに気がついたからだ。

日本のアサガオかどうかよくわからない。セイヨウアサガオかもしれない。まいた覚えはないのに(カミサンがまいたか)、隠居の庭の生け垣から下の庭にかけてアサガオのつるが伸び、次々と花を咲かせていた=写真。

ブログによれば、私が今年(2024年)初めてアサガオの花に気づいたのは7月中旬。わが家の台所の軒下にある鉢植えのアサガオが花をつけたときだった。

ウェザーニュースによると、アサガオは日没後10時間で開花する。東京の場合、7月は早朝の5時ごろ、9月は日の出前の、まだ暗い4時ごろに開花するのだそうだ。

 わが隠居のアサガオは日中も咲いている。つまり、セイヨウアサガオの青い花、「ヘブンリーブル―」といわれるものだろうか。

 11月17日は気温が上昇し、いわきの平地の山田町では最高気温が25・4度になった。

隠居から帰って、台所で片付けものをしていたカミサンがびっくりしたように言う。「蚊に刺された」

わが家で最後に蚊に刺された日は、8年前(2016年)は10月27日だった。その後、11月6日(2018年)、11月19日(2022年)と11月も後半にずれこんでいる。アサガオだけでなく、蚊もおかしい(と思っている?)。

2024年11月18日月曜日

紅葉情報がより正確に

                
 朝のうちは雨。予報では、昼にはやむというわけで、日曜日(11月17日)はいつもより遅れて夏井川渓谷の隠居へ出かけた。

 隠居へは11時前に着いた。紅葉が見ごろになっていた=写真。いわき観光まちづくりビューローの同日現在の情報も、カエデも含めて見ごろであることを伝えていた。人出も今季一番だった。

谷間のカエデがだいぶ色づいてきた。アマチュアカメラマン、といっても今はスマホだ、スマホで道端のカエデを撮る人が増えつつある。

 いわき市内の代表的な紅葉スポットは、やはり夏井川渓谷だろう。平市街からは車で30分、中通りからもわりと簡単にたどり着ける。

福島県内のテレビ局は10月に入ると、「紅葉情報」を流す。いわきの場合は夏井川渓谷が紹介される。

メディアが伝えるのは、葉のマークからして「カエデ紅葉情報」である。夏井川渓谷のカエデは、10月はまだあおい。

ところがカエデとは別に、V字谷の森は尾根から紅・黄・茶と染まり、マツやモミの常緑と混じり合って錦繡に彩られる。それはそれで美しい。

つまり、紅葉には非カエデの紅葉と、カエデそのものの紅葉の二つがある。そう考えた方がわかりやすい。

紅葉は、ソメイヨシノを見てもわかるようにヤマザクラ類が早い。アカヤシオなどのツツジ類もやがて赤く染まる。

夏井川渓谷ではまず、非カエデの紅葉が楽しめる。観光まちづくりビューローの11月10日現在の情報では、アカヤシオの紅葉は11月20日前後が見ごろとあった。

単なる紅葉情報ではない。非カエデの紅葉について伝えている。私の個人的な見立てと全く変わらない。

先日は、NHK福島放送局の気象予報士が夏井川渓谷を訪れ、錦展望台で紅葉を観察した。

その様子が夕方のローカル番組のなかで紹介された。紅葉にはツツジなどの紅葉とカエデの紅葉があることを伝えていた。

ここまで説明すれば、紅葉はカエデだけではないことを視聴者も理解できるはずだ。という意味では、気象予報士が現場を踏むことで、情報の精度が上がり、紅葉の解説も深まる。

夏井川渓谷のカエデは谷間の県道沿いに多い。非カエデとカエデの関係を端的に伝える歌碑が籠場の滝のそばに立つ。作者は歌人・随筆家大町桂月(1869~1925年)。

「散り果てゝ枯木ばかりと思ひしを日入りて見ゆる谷のもみぢ葉」

 この歌のように、カエデは、落葉樹の中では紅葉が最も遅い。カエデが燃えあがるころには、アカヤシオなどのほかの紅葉は散り果てて初冬の風景に変わっている。

気象予報士であれ、日曜日だけの定来者であれ、現場が答えを用意して待っている。現場から学ぶことで違いがわかる、というのは正しい。

某紙によると、夏井川渓谷は「鮮やかに色づいたモミジやブナ」が広がっているそうだが、ブナはどこにあるのか。この目でブナを見たいと思っている人間には、奇異な紅葉情報だった。

2024年11月16日土曜日

福島師範の植物研究

                     
 図書館の新着図書コーナーに、福島県・いわき市関係本として、阿部武『福島師範の植物研究――根本莞爾と師弟たち(2024)』(非売品)があった=写真。

 著者の名前を見て思い浮かんだ人がいる。石川郡に住む阿部さんに違いない。奥付で、発行者でもある著者の住所を確かめると、そうだった。

 福島県きのこの会会長である。いわきキノコ同好会にも所属している。植物の研究者でもあったか。

 もっとも、植物と菌類は切っても切れない関係にある。圧倒的多数の植物が根を介して菌類とつながっている。

その関係の始まりは5億年前にさかのぼる。水中から陸に上がった最初の植物には根がなかった。菌類がその根の役目を果たした。

そんな関係を知ったばかりなので、福島県をエリアに植物・菌類両方にまたがって研究する阿部さんの仕事の意義・大切さがよくわかる。

 私が初めて阿部さんと言葉を交わしたのは、6年前、いわきキノコ同好会の観察会が市内小川町の山中で行われたときだ。ブログを参考にしながら当時の様子を振り返る。

林道のそばで南方系のキノコであるアカイカタケを採取した。パッと見には16本の触手を持った赤いイソギンチャクで、一口大のケーキのようにも見えた。

平たい頂部には、凝固しかかった血液、あるいはゼリーのような層がある。かぐと腐臭がする。これが、胞子の運搬役のハエを呼ぶ。

いわきキノコ同好会会長の冨田武子さんに見せ、阿部武さんにも聞いて、「福島県内にも関東にも記録はない、非常に珍しいキノコ」(阿部さん)であることを知った。

さらに、観察会から2日後、阿部さんから手紙が届き、吉見昭一著『おどるキノコ――イカタケのひみつ』(岩崎書店、1983年)という児童図書があることを知った。

さて、阿部さんの最新論考は福島師範(現福島大学)の博物学教諭だった根本莞爾とその教え子たちの植物研究をまとめたものだ。

実はこの論考を借りる気になったのは、阿部さんが旧知の人だっただけでなく、参考資料として平成6(1994)年8月17日付いわき民報「交差点」が収録されていたからでもある。

筆者は菅原金男さん(宮城県本吉町)=元小学校長=で、「根本莞爾先生のこと」と題して、根本の先祖の地がいわき市遠野町であること、県花の「ネモトシャクナゲ」の「ネモト」は根本莞爾からきていることなどを紹介している。

 牧野富太郎とは当然、関係があった。いわき市出身の英語教育者小野圭次郎も根本の教え子だったという。

論考はもちろんだが、今回は著者の阿部さんを含めて、周辺情報に興味が引かれて、それを紹介した。

2024年11月15日金曜日

カメムシは冬ごもり

                       
   夏井川渓谷の隠居で土いじりをするために服を着替え、手袋をはめる。と、袖の中からパラパラこぼれ落ちるものがある。手袋の中でモゴモゴやっているものもいる。カメムシだ。

カメムシは寒さに弱い。気温が下がるとすぐ何かにもぐりこむ。このパラパラ・モゴモゴを、今季は初めて11月3日の文化の日(日曜日)に経験した。

夏が長かったためか、いつもよりは少し遅いパラパラ・モゴモゴだった。これからはそれが春まで何度も繰り返される。

近所の家では、カメムシ対策として網戸やガラス戸に忌避剤を噴霧し、すきまをテープでふさぐ。

わが隠居でも3年前の正月、後輩からクスノキの薪をもらって、茶の間などに置いた。防虫剤の樟脳(しょうのう)はクスノキが主成分だ。

クスノキ本体を置けば、強烈な香りに負けてカメムシが逃げていくのではないか。そんな期待を抱いたのだが……、甘かった。

隠居は冬、いつもの「カメムシの宿」になった。雨戸のすき間、座布団と座布団の間、畳んだゴザのすき間と、至る所にカメムシがもぐりこんだ。

そこへ日曜日ごとに人間が現れ、石油ストーブを焚く。部屋が暖まると、いつのまにか1匹、また1匹とカメムシが現れる。独特の臭気に支配されることもある。

暖房が効いて畳にポトリ、またポトリは、今年(2024年)すでに10月後半に始まった。

長居するときはほうきでさっと外へ掃き出すが、ちょっといてすぐ街へ下りるときにはそのままにしておく。

このパラパラ・モゴモゴと関連するわけではない。が、妙に一致する事象がある。同じ日、カミサンが隠居の庭の草むしりをしていて、ウツギの切り株にキノコが生えているのを見つけた。スギタケの仲間だった=写真(2021年撮影)。

3年前は10月31日に、やはりパラパラ・モゴモゴとスギタケの仲間の発生を確認した。今年も同時だった。

同じモエギタケ科にヌメリスギタケモドキがある。二十数年前、立ち枯れの大木に大発生しているのに出合った。このとき初めてコウモリ傘を開いて逆さにし、柄の長い小鎌でこそげ落とした。

 これは食菌としての、ヌメリスギタケモドキだからこその採り方だ。が、隠居の庭のそれがヌメリスギタケモドキかどうかは判断がつかない。

 で、3年前も採取はしたものの、食べるところまではいかなかった。今回も採取~いしづきカット~塩水につけて虫だし・ごみ落としまではしたが、結局、食べるまでにはいかなかった。

同じ仲間のツチスギタケやスギタケモドキは中毒するという。よくわからないものは食べない、という「鉄則」に従った。

2024年11月14日木曜日

大谷翔平「101の軌跡」

                            
   若いときはともかく、今はスポーツのテレビ中継を見なくなった。が……、大谷翔平が出るとなると別だ。

プロ野球の最高峰であるMLBのワールドシリーズは、大谷の所属するドジャースがヤンキースを破って優勝した。

同シリーズは日本時間の10月26日に始まった。BSで朝から生中継を見た。ドジャースは初戦から強敵を突き放し、4勝1敗と危なげない戦いぶりで頂点に立った。

その余韻を引きずるように、カミサンが移動図書館から借りた大谷翔平選手の本=写真=を読んでいる。

『ドジャース大谷翔平 新たなるチャレンジ101の軌跡』(インテルフィン、2024年9月)で、「100」ではなく「101」であるところがミソらしい。

『草野心平日記』は心平生誕101年を記念して刊行された。それと同じで、「100」では当たり前すぎて目に留まらない、「101」にしようとなったのか。

ドジャース入団後の新しいエピソード集といってもいい。「新発見」よりは「再確認」に近いだろうか。新聞記事で読んだり、テレビの情報番組で紹介されたりしたものが多い。それでも、聞き逃したものや見逃したものはある。

大谷がホームランを打ってベンチに戻ってくる。と、大谷の顔面にパッとヒマワリの種をまく選手がいる。テレビもそのシーンをよく取り上げる。

ともに今年(2024年)、ドジャースに移籍したテオスカー・ヘルナンデス選手の、ホームランを祝うパフォーマンスだという。

ヘルナンデス選手は2021年のオールスター戦で大谷と仲良くなり、今は毎日、大谷から新しい日本語を教えてもらっているのだとか。

そして、ヒットで塁上に出たときの、あのポーズ――両手を上げて上体を傾けながら左足を上げる――あれはもう一人のヘルナンデス、エンリケ・ヘルナンデス選手の決めポーズが原型らしい。

こちらの選手は愛称を「キケ」という。そこからとられた名前が「キケポーズ」、なのだとか。

というわけで、テレビでおなじみのシーンやポーズなど、「ドジャース大谷翔平」にまつわるエピソードが1ページ単位で101回繰り返される。写真と漫画もあって、中学生なら十分楽しめる構成になっている。

この出版社はすでに大谷本を複数出している。タイトルは省略するが、『――101の秘密』『――100の秘密』と、本のつくりはパターン化されているようだ。

大谷の人気はすさまじい。近々、また大谷本が出版される予定らしい。大谷はすでに大リーグの頂点に立つ。その大谷を軸にした経済効果は、こうした周辺のパターン本にも及ぶ。

2024年11月9日土曜日

曲がりネギの味噌汁

                      
 街からの帰り、夏井川の堤防沿いにあるネギ畑に目をやる。例年、師走に入ると収穫が始まる。まだ11月だが、気持ちのうえではカウントダウンに入った。

 平地のネギは「いわきネギ」、隠居のある夏井川渓谷のネギは「三春ネギ」。三春ネギは田村地方から種と苗が伝わってきたらしい。どちらにしてもこれからが旬である。

 紅葉時期になると、小野町のNさんが日曜日、JR磐越東線の江田駅近くに直売所を開く。

10月半ばの日曜日朝、県道沿いの空き地でNさんがパイプの支柱を組み立てていた。1年ぶりの再会である。「長芋は、今年はよくない、曲がりネギは大丈夫」。そんな話になった。

 直売所のオープンは例年、10月末か11月初めだ。今年(2024年)は11月3日に違いない。

そう見当をつけて9時半過ぎに江田駅前を通過した。店開きをしたばかりらしい。先客と長芋やゴボウの話をしていた。

曲がりネギがひとかたまり、シーツの上にあった。それをまとめて買う。シーツは隠居からの帰りに返した。

上流の錦展望台でも、土地の管理者に勧められて直売所を開くようになった。こちらは奥さんが担当している。

紅葉見物のマイカーが次々にやって来て、露天の直売所をのぞく=写真。対岸の紅葉はいまひとつだが、地場野菜の直売は好評のようだ。

 渓谷では、ヤマザクラやツツジなどがまず紅葉する。それが対岸の斜面を彩る。今年はその紅葉が遅れ気味だ。夏から秋の高温が影響しているのかもしれない

マイカー組のお目当ては県道沿いの谷間にあるカエデだろう。すでに紅葉したカエデもあるが、大半はまだあおい。もみじ葉が燃え上がるのは11月中旬以降か。

 この時期の楽しみは、紅葉よりも曲がりネギだ。4日朝、今季初めてジャガイモと曲がりネギの味噌汁にしてもらう。

ジャガイモと曲がりネギのやわらかさが混じり合い、ネギの香りと甘さが口内に広がる。それだけではない、少年時代の味の記憶も重なって、舌が喜ぶ。

 ネギジャガの味噌汁は毎朝口にしてもあきない。曲がりネギは加熱するとやわらかくなる。このやわらかさに魅かれるのだ。

 江田駅前ではNさんの直売所のほかに、テント張りの食べ物屋が出る。ここも3日にオープンした。

以前は山菜やキノコの塩漬けを並べた地元のおばちゃんたちの露地売りもあったが、今はどうだろう。震災以後、記憶があいまいだ。

隠居の庭では、三春ネギのそばで辛み大根が群生している。大きく葉を広げたものもある。三春ネギの邪魔になるのを引っこ抜くと、まだ細かった。が、おろすとやはり辛い。

初冬の楽しみはネギジャガの味噌汁と辛い大根おろし、次にカエデの紅葉。それが終わると、渓谷の森は葉を落として冬の眠りに入る。

※おことわり=予定が立て込んでいるため、何日かブログを休みます。

2024年11月8日金曜日

脳トレ本

                      
   カミサンから『大人の脳トレ本』を渡された。「もう使わないから」と、知人が持ってきたのだという。

開くとすぐ、人間の体で人間の顔を表現した歌川国芳の浮世絵が登場する。「絵の中に描かれている人物は何人か」

 同じ国芳の猫の絵を見せて「ことわざを完成させよ」というのもある。たとえば「猫に□□」=「猫に小判」など。

脳トレ・運動・食事、これが脳によい三本柱だという。脳トレなら脳トレだけでなく、ウォーキングや家事労働、バランスのいい食事などにも心がける。

それらを総合的に組み合わせ、脳を活性化させることで認知機能の低下や認知症の予防につながるのだとか。

いつもそうするわけにはいかないが、そばにいる相手ともめるだけで脳にはトレーニングになるともいう。

脳トレ本に刺激されて、図書館の新着図書コーナーにあった山口道宏『老いは孤立を誘う』(はる書房、2024年)を借りて読んだ=写真。

こちらは認知症うんぬんよりも、孤立死が増える「無縁社会」に光を当て、今日的な老いの営みが孤立に至る背景と課題を探っている(はじめに)。

核家族、団塊の世代(昭和22~24年生まれ)として、この半世紀余り、胸底から消えない言葉がある。その言葉を重ねながらこの本を読んだ。

日本では少子高齢化だけでなく、単身化も進む。国の見通しでは、団塊ジュニアが65~70歳を超える「2040年問題」に、介護や医療のインフラが追いつかない。ひとり暮らし予備軍の「老老世帯」はその前兆だという。

私は、高度経済成長と核家族化の流れにのって大家族から飛び出し、近くに血縁者のいない街で仕事に就き、結婚して子どもを育てた。

そのころ、つまりまだ20代後半のころ、核家族は「生存の危機」と隣り合わせである、といった意味のことを識者が新聞に書いていた。

識者の名前は忘れたが、生存の危機という言葉はずっと胸にあった。若いころは観念にすぎなかったが、年をとった今は、それが現実になりつつある。

老老世帯である。どちらか一方が病気になって何日か寝たままになったとする。「『お年寄りは三日間寝込んだだけでも、寝たきり、認知症予備軍になりかねない』とはリハビリを担う専門家の常識」と同書にある。

現実問題としてよくわかる。で、今はトイレに行ったら、必ず階段を利用して足の屈伸運動をする。危機は足からくるからだ。

それも含めて、老老世帯のどちらかが欠けて、ひとり暮らしになり、やがてひとりで死を迎える――今は生存の危機をそんなイメージでとらえている。

こんなくだりもあった。「『自助』より制度の見直しだ。あまつさえ『裏金問題』が表面化し政治家の姿勢が問われているいま、『政党が 先に公助を 受けている』が正鵠(せいこく)を得ている」

総選挙が終わったばかりだけに、この川柳(作者名は省略)は妙に納得がいく。川柳もまたいい脳トレにはちがいない。

2024年11月7日木曜日

松本清張の未刊行短編集

                              
   移動図書館「いわき号」から借りた本に、松本清張『任務――松本清張未刊行短編集』(中央公論新社、2022年)があった=写真。

あれだけ多作で人気のある作家に、未刊行作品があった? その一点だけで読んでみる気になった。

まずは「帯」のキャッチコピーを借りる。「自身の従軍体験を反映した表題作から実在の事件をモデルにした作品まで、国民的作家が終生追い続けたテーマ『組織・社会と個人との葛藤』を凝縮した全10篇」なのだとか。

それぞれの主人公、あるいは主要な登場人物が独特というか、一般にはなじみの薄い仕事に就いている。

地方紙の広告担当責任者、大衆娯楽雑誌の元編集者、プロの棋士、贋作をつくった陶芸家、速記法を編み出した人物、戦場特派員……。

なかに、年配者なら「ああ、あれだ」とピンとくる作品がある。プロ棋士の舛田幸三と木村義雄名人の対局を描いた「悲運の落手」、「永仁の壺」事件をモデルにした「秘壺」がそうだろう。

将棋は(碁もだが)、私はわからない。が、「悲運の落手」では2人の棋風、性格、対局の様子などが丹念に描かれる。

巌流島ではないが、武蔵と小次郎の真剣勝負のような緊張感が伝わってくる。舛田、優勢。ところが、最後に「命取りの悪手」を指してしまう。どんでん返しで作品は終わる。

 「秘壺」は、国の重要文化財に指定され、やがて人間国宝の陶芸家加藤唐九郎が「自分がつくった」と告白し、指定が解除された「永仁の壺」事件をモデルにしている。

 指定を推薦した文部技官や、疑惑を追いかける新聞社の学芸部員、偽物をつくったとされる陶芸家などが登場する。

 解説によると、「秘壺」が発表されたのは、贋作の疑いが濃厚だったものの、まだ決定的とはいえない段階のころだった。

 唐九郎が、自分が作った贋作だと告白するのはそのあとで、やがて事件は国の重文指定解除、文部技官の引責辞任という形で決着する。

 清張自身の体験に基づく作品もある。表題作の「任務」は、戦時中、朝鮮で衛生兵として軍務に就いていた経験を踏まえたものだという。

「ヨーチン」(ヨードチンキの略)と軽く見られていた主人公の衛生兵が、貧相な病兵の死に直面する。

遺体を「屍室」に運ぶため、看護婦と一緒に担架にのせて抱えると――。「屍体の重量がずしりと肩のつけ根から腕先にきたとき、はじめて私は任務らしい感情が充実しました」。階級社会の兵隊と戦争の悲しい断面が浮かび上がる。

 日本語の速記法を編み出した田鎖鋼紀の伝記小説「電筆」はいささか変わっている。解説によると、清張は膨大な執筆量から「書痙」になり、速記者を専属にして口述筆記をした。

速記者はすでに田鎖の生涯を調べ上げていた。清張が依頼原稿を書きあぐねているとき、田鎖関連の資料を提供したのだという。

速記者の名は福岡隆。のちに『人間・松本清張 影武者が語る巨匠の内幕』を出版する。「影武者」に驚きながらも納得した。

2024年11月6日水曜日

馬と暮らし展

                     
   いわき市暮らしの伝承郷で企画展「馬と暮らし」が開かれている(1月26日まで)。

馬は、かつては農耕や荷物の運搬を担い、人々の暮らしを支えてきた。その馬が暮らしの中で果たした役割、馬に関する信仰などを、関連する道具や写真で紹介している。

3連休初日の11月2日に始まった。翌3日、伝承郷に用があるカミサンのアッシー君を務め、ついでに企画展をのぞいた。

伝承郷は民俗学的な視点に立つ施設だが、近年は歴史学にも踏み込んだ企画展示をしている。

「馬と暮らし」展では、民俗のなかに文学を取り入れていて驚いた。山村暮鳥や草野心平の馬の詩を紹介している。

メーンは同じ詩人の猪狩満直と馬のかかわりだろう=写真。伝承郷にはかやぶきの古民家が5棟ある。山を背負った手前3棟の中央が満直の生家だ。

その縁から満直と馬を、満直とつながりのあった暮鳥と心平の作品を取り上げた、というわけだ。

ちなみに、心平の馬はカエルを主題にした第百階級以前の作品で、『空と電柱Ⅰ』から「月夜の馬」、『BATTA』から「馬になる」を、詩集とともに紹介している。暮鳥の馬は最後の詩集『雲』から連作3編を紹介した。

北海道開拓時代の満直と馬が映った写真と文章には記憶がなかった。帰宅して『猪狩満直全集』(1986年)を開く。が、どこにも見当たらない。翌日も調べ直したが、やはりわからない。

ここは伝承郷へ出向いて直接、出典を確かめるしかない。というわけで、2日連続、「馬と暮らし」展を見た。

旧知のスタッフから説明を受けてわかったのだが、満直の写真と文章は、平成30(2018)年10~12月、いわき市立草野心平記念文学館で開かれた「生誕120年記念 猪狩満直」展で公開されたものだった。

そのときの図録に写真と文章が載っている。絵解きには「満直が、平町のマルトモ柴田書店店主、柴田徳二に送った写真と文面(いずれも複写)。満直がプラオ(西洋式犂)を操っている。文面では、馬を2頭所有していること、それらの経費で700円を要したことなどが記されている」とある。

大正末期から昭和初期、開拓農民として北海道で暮らした満直の目に映った馬はこんな感じだった=全集所収の「手記」(北海道開墾生活の実状)から。

「北海道の農夫は馬を中心として、馬によりかかって仕事をするのである。また年々子を産む。所謂、米櫃である。だから馬を大事にする。子供が病気しても中々医者にみせるやうなことをしないが、馬が病気すると早速獣医のところにかけつける」

暮らしの場こそ北海道だが、農耕に、運搬に馬が欠かせなかった様子がよくわかる。

阿武隈の山里でも昭和30(1955)年前後までは通りを荷馬車が行き来していた。馬車の持ち主が子供らをかわいがって、荷物と一緒に乗せてくれたこともある。

道はまだ舗装されず、かやぶきの農家には牛や馬の小屋があった。小屋を脱走して通りを駆け抜ける馬もいた。そんな時代が確かにあった。

2024年11月5日火曜日

色紙で遊ぶ

                     
   子どもが小さかったころ、大人も一緒になって遊んだ。いや、逆か。大人はしょっちゅう、街で酒を飲んでいた。たまり場があった。

で、罪滅ぼしを兼ねて家で飲み会をする。その際、子どもたちも呼んで自由に遊ばせる――。

 たとえば、夏。狭いわが家で「カツオパーティー」を開く。大人はアルコールと雑談にふけり、子どもたちは食事をして、庭で線香花火をしたり、別の部屋で絵本を読んだりした。

 画家や陶芸家、書家、新聞記者、市職員、カミサンのPTA仲間と子どもたち、総勢30人前後が居間と庭を行ったり来たりした。

 あるときは、ハマに近い友人の家で「タケノコパーティー」を開いた。やはり大人は酒を飲み、子どもたちはそばで遊び回った。

張り替えを予定していた押入の襖(ふすま)をキャンバスにしたこともある。「さあ、なにを描いてもいいぞ」。号令をかけると、子どもたちは自由に筆を動かした。

襖の落書きは大人もやった。新しく建てられた友人の家で飲み会が開かれたとき、無地の襖に画家が墨で絵を描き、私も即興で1行詩をつくり、書家がそれを絵に書き添えた。

アルコール抜きで合作をしたこともある。2点が額装されてわが家にある。そのうちの1点、色紙が東日本大震災で倒れ、ガラスにひびが入った。

それを先日、カミサンが額縁・画材専門店に持っていった。飾っておいたわけでもないので、そのまま放置していたが、家の中を片付けているうちに取り換える気になったのだろう。

若いころ、取材を兼ねて草野美術ホールに出入りした。美術ホールは、今はない。画家や書家とはそこで出会った。彼らを介して額縁・画材専門店の経営者とも知り合った。

カミサンが店を訪ねると、ガラスではなくアクリル板を勧められた。額縁に合わせてカットするので少し時間がかかる。

連絡がきて、カミサンのアッシー君を務めた。応対した女性と色紙の作者の話になったそうだ。

灰色の空と、葉を落とした雑木の雪山、そのふもとを人間が一人歩いている――。シンプルだが静かで深遠な感じのする絵だ=写真。作者は画家の故松田松雄(敬称略、以下同じ)。

文字は「金木犀の匂いと/駄菓子屋と/青白いシリウス/人は気圏の底に/うごめいて/中秋/立待ちの月」。絵とは季節感がずれるが、私がつくり、書家の田辺碩聲(せきせい)が筆を執った。

画材店にとっては、松田は特に親しい存在だったようだ。同店で絵画教室のようなこともしていたのではなかったか。書家もまた書道教室を開いていたような記憶がある。

女性は松田から私のことを聞いていたそうだ。「この詩をつくった人は……」となって、「私の夫です」。カミサンが応じた。

アナーキーといえば、アナーキーな遊びだった。子どもだけでなく、大人にとっても落書きは楽しい。

額装された色紙は、今思えば30代前半までくっついていた青春の抜け殻のようなものだったか。

2024年11月2日土曜日

尾根に立つ風車

            
   わが家からいわき駅前へ向かうとき、あるいは日曜日に夏井川渓谷の隠居へ出かけるとき、平市街の西方に屏風のように連なる山が見える。

 南から湯ノ岳~三大明神山~鶴石山などと続く。なかでも三大明神山の尾根には風力発電の風車が立ち並ぶ。

 1年前、風車のタワー2基が立ったのに気づいた。やがて山稜にニョキニョキとタワーが並び、今では肉眼でも9基の風車が回っているのがわかる。

中塩(平)の田んぼ道に出ると、必ず風車の数を確かめる。そして、阿武隈の中山間地域だけでなく、市街地でも風車が目に入るようになったことを、どう受け止めたらいいか迷う。

阿武隈高地は風力発電の一大基地になりつつあるようだ。自分が生まれ育ったふるさとの山々に巨大風車が立ち並ぶ光景を、私はできれば見たくない。

再生可能エネルギーの必要性を認めながらも、少年時代の記憶が、尾根の景観が傷つけられたようでたまらなくなる。

すでに震災前、大滝根山と矢大臣山の間に風車の列ができていた。同じ田村市の桧山にも風車が立った。

実家への行き帰り、風車を見るたびに、昔の古老が大滝根山の「こぶ」(自衛隊のレーダー基地)を見て嘆いた、という文章を思い出す。

 先日、夏井川渓谷にある隠居から「スーパー林道」(広域基幹林道上高部線)を利用して、知り合いの古民家カフェ(下川内)を訪ね、直売所(上川内)で買い物をした。

 気分転換を兼ねた日曜日のドライブで、上川内から下川内へ戻る途中、東方の里山に巨大な風車が立っているのが目に入った=写真。

 令和2(2020)年、古民家の所有者である陶芸家の友人が亡くなった。上川内で葬儀が行われた。同4年にはその古民家が娘さんの手でカフェに生まれ変わった。どちらのときにも川内へ行ったが、風車はなかったか、あっても気づかなかった。

 村では確か、水や自然を大切にするイメージ戦略からかけ離れているとして、風車の建設には反対の立場をとっていたはずだが……。東日本大震災と原発事故がそれをひっくり返したか。

 スーパー林道は川前(いわき)の神楽山の中腹を縫って伸びる。隠居から駆け上がるとほどなく、林道からの登山道に風力発電所を知らせる看板が立っていた。

 同じ水源地帯にある別の山はいわきで唯一、コマドリやコルリの繁殖地として知られる。

日本野鳥の会いわき支部は、コマドリだけでなく、ほかの希少種や渡り鳥への影響、環境保全の観点からも問題が大きいとして、風車建設の適地・不適地を明確にするゾーニングの条例化を求める要望書を市・県・国に提出した。

巨大風車を尾根に建設するには機材を運ぶための道路が必要になる。そのための森林伐採が進めば保水力の低下が懸念される。

水源地帯の問題は下流域の問題でもある。自然環境を守り、土砂災害や水害を防ぐためにも、メガソーラーを含めた再生可能エネルギーのゾーニングが必要になる。台風や低気圧はもはや昔の比ではない。