枕元に積み上げてある本の中に、レイチェル・カーソン/上遠恵子訳『センス・オブ・ワンダー』(新潮社)がある。
わずか60ページほどの掌編で、ふだんは睡眠薬代わりなのだが、寝そびれるとつい読みふけってしまう。
レイチェル・カーソン(1907~64年)は『沈黙の春』で世界的に知られるアメリカの作家・海洋生物学者だ。
同書は、DDTの空中散布後、庭にやって来たコマツグミが次々に死んだ、という友人の手紙をきっかけに、長い調査期間を経て、世界にさきがけて環境汚染と破壊を告発した本として知られる(訳者あとがき)。
彼女は『沈黙の春』を執筆中にガンにおかされた。本を書き終えたあとに最後の仕事として、母親向けの雑誌に発表した『センス・オブ・ワンダー』を肉付けし、単行本化を考えたが、それはかなわなかった。
若いころ、レイチェルは姪の息子のロジャーとともに、家の近くの海岸を、森を巡った。晴れの日も、雨の日も、夜も昼も、一緒に自然を楽しむために。『センス・オブ・ワンダー』はその記録と考察の書でもある。
センス・オブ・ワンダーのそもそもの意味は、「不思議さに目を見張る感性」だという。
もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら――と、レイチェルはいう。
世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー」を授けてほしいとたのむでしょう。
センス・オブ・ワンダーは大人になっても消えない。たとえば、夏井川渓谷にある隠居の庭で、ネギが発芽し、頭に黒い種の殻を載せているのを見たとき。あるいは、ハクチョウが鳴きながらわが家の上空を通過していくとき。その美しさに見とれてしまう感覚を、私はセンス・オブ・ワンダーだと思っている。
センス・オブ・ワンダーは「やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです」。
真夜中の、寝床での読書で知った「解毒効果」だった。と同時にもうひとつ、心に刺さった言葉がある。
小さな本の最後に、スウェーデンの海洋学者、オットー・ペテルソン(1848~1941年)が息子に語ったという言葉が紹介されている=写真。
「死に臨んだとき、わたしの最期の疑問を支えてくれるものは、この先になにがあるのかというかぎりない好奇心だろうね」
人間の最期の疑問、死の先にあるもの……。これは読み過ごしてきたというか、そこまで『センス・オブ・ワンダー』を読み切っていなかった。
詩人の谷川俊太郎さんが11月13日に亡くなったことを19日に知った。詩人もまた最後の瞬間、「この先になにがあるのか」と、薄れてゆく意識のなかでペンをとろうとしたのではないか、そんな気がしてならない。
0 件のコメント:
コメントを投稿