移動図書館「いわき号」から借りた本に、松本清張『任務――松本清張未刊行短編集』(中央公論新社、2022年)があった=写真。
あれだけ多作で人気のある作家に、未刊行作品があった? その一点だけで読んでみる気になった。
まずは「帯」のキャッチコピーを借りる。「自身の従軍体験を反映した表題作から実在の事件をモデルにした作品まで、国民的作家が終生追い続けたテーマ『組織・社会と個人との葛藤』を凝縮した全10篇」なのだとか。
それぞれの主人公、あるいは主要な登場人物が独特というか、一般にはなじみの薄い仕事に就いている。
地方紙の広告担当責任者、大衆娯楽雑誌の元編集者、プロの棋士、贋作をつくった陶芸家、速記法を編み出した人物、戦場特派員……。
なかに、年配者なら「ああ、あれだ」とピンとくる作品がある。プロ棋士の舛田幸三と木村義雄名人の対局を描いた「悲運の落手」、「永仁の壺」事件をモデルにした「秘壺」がそうだろう。
将棋は(碁もだが)、私はわからない。が、「悲運の落手」では2人の棋風、性格、対局の様子などが丹念に描かれる。
巌流島ではないが、武蔵と小次郎の真剣勝負のような緊張感が伝わってくる。舛田、優勢。ところが、最後に「命取りの悪手」を指してしまう。どんでん返しで作品は終わる。
「秘壺」は、国の重要文化財に指定され、やがて人間国宝の陶芸家加藤唐九郎が「自分がつくった」と告白し、指定が解除された「永仁の壺」事件をモデルにしている。
指定を推薦した文部技官や、疑惑を追いかける新聞社の学芸部員、偽物をつくったとされる陶芸家などが登場する。
解説によると、「秘壺」が発表されたのは、贋作の疑いが濃厚だったものの、まだ決定的とはいえない段階のころだった。
唐九郎が、自分が作った贋作だと告白するのはそのあとで、やがて事件は国の重文指定解除、文部技官の引責辞任という形で決着する。
清張自身の体験に基づく作品もある。表題作の「任務」は、戦時中、朝鮮で衛生兵として軍務に就いていた経験を踏まえたものだという。
「ヨーチン」(ヨードチンキの略)と軽く見られていた主人公の衛生兵が、貧相な病兵の死に直面する。
遺体を「屍室」に運ぶため、看護婦と一緒に担架にのせて抱えると――。「屍体の重量がずしりと肩のつけ根から腕先にきたとき、はじめて私は任務らしい感情が充実しました」。階級社会の兵隊と戦争の悲しい断面が浮かび上がる。
日本語の速記法を編み出した田鎖鋼紀の伝記小説「電筆」はいささか変わっている。解説によると、清張は膨大な執筆量から「書痙」になり、速記者を専属にして口述筆記をした。
速記者はすでに田鎖の生涯を調べ上げていた。清張が依頼原稿を書きあぐねているとき、田鎖関連の資料を提供したのだという。
速記者の名は福岡隆。のちに『人間・松本清張 影武者が語る巨匠の内幕』を出版する。「影武者」に驚きながらも納得した。
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