日曜日(11月24日)は通夜に行くため、夏井川渓谷にある隠居から早めに帰宅した。
遅い昼食を終えて一休みしていると、家の前の旧道をポンプ車がサイレンを鳴らして通り過ぎた。少し間をおいてまた1台、通っていった。
サイレンがすぐやめば現場は近い。そうではなさそうだ。が、2台も来るとなると、燃え方が気になる。
2階の窓から見ると、左側の家並みのちょっと先から黒煙が立ち昇り、右側へと空を覆いながらたなびいていた。
防災メールで確かめたら、現場は隣の行政区で、建物火災だった。午後1時半過ぎに火災が発生した。わが家からはざっと600メートル先だ。
その後も国道をポンプ車が通り、旧道を、消防士を載せた車が通っていった。黒煙はすぐには収まりそうになかった。
メディアによると、火元は民家の物置で、そこから隣家に燃え移った。全焼した隣家は旧道沿いにある。
3時前、いつもの時間よりは早めに魚屋へカツオの刺し身を買いに行った。ふだんは国道を利用し、帰りは旧道を通る。
旧道はポンプ車が止まっていて通れないはず。わが家の方から行くと、マルト(神谷)付近で通行止めになっているはず――その通りだった。まだ黒煙が盛んに立ち昇っていた=写真。
刺し身を買ったあと、また国道を利用して戻ったが、黒煙はやはりもくもくと空に立ち昇り、海側へ流れていた。
小学校2年生のときに阿武隈の山里で大火事を経験した。4月半ばの宵のうちに一筋町の西の方で火災が発生した。
火の粉は折からの強風にあおられて屋根すれすれに飛んで来る。そうこうしているうちに紅蓮の炎が立ち昇り、かやぶき屋根のあちこちから火の手が上がる。町はたちまち火の海と化した。
一夜明けると、見慣れた通りは焼け野原になっていた。住家・非住家約500棟が焼失した。
少し心身が不自由だった隣家(親類)のおばさんが、近所の家に入り込んで焼死した。
「近所で火事」と聞くと、子どものときの、この記憶がよみがえる。今度の火事ではさいわいけが人はいなかった。
翌日の午後遅く、用事をすませた帰りに旧道を利用し、火災現場の前を通った。全焼した家はかろうじて外観を保っていた。が、2階の屋根の真ん中が丸く焼け落ちている。内部が激しく燃えたようだ。
家が焼ければたちまち衣・食・住に窮する。いとおしんだものたちが失われる。そのことを思って暗澹たる気持ちになった。
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