カミサンから『大人の脳トレ本』を渡された。「もう使わないから」と、知人が持ってきたのだという。
開くとすぐ、人間の体で人間の顔を表現した歌川国芳の浮世絵が登場する。「絵の中に描かれている人物は何人か」
同じ国芳の猫の絵を見せて「ことわざを完成させよ」というのもある。たとえば「猫に□□」=「猫に小判」など。
脳トレ・運動・食事、これが脳によい三本柱だという。脳トレなら脳トレだけでなく、ウォーキングや家事労働、バランスのいい食事などにも心がける。
それらを総合的に組み合わせ、脳を活性化させることで認知機能の低下や認知症の予防につながるのだとか。
いつもそうするわけにはいかないが、そばにいる相手ともめるだけで脳にはトレーニングになるともいう。
脳トレ本に刺激されて、図書館の新着図書コーナーにあった山口道宏『老いは孤立を誘う』(はる書房、2024年)を借りて読んだ=写真。
こちらは認知症うんぬんよりも、孤立死が増える「無縁社会」に光を当て、今日的な老いの営みが孤立に至る背景と課題を探っている(はじめに)。
核家族、団塊の世代(昭和22~24年生まれ)として、この半世紀余り、胸底から消えない言葉がある。その言葉を重ねながらこの本を読んだ。
日本では少子高齢化だけでなく、単身化も進む。国の見通しでは、団塊ジュニアが65~70歳を超える「2040年問題」に、介護や医療のインフラが追いつかない。ひとり暮らし予備軍の「老老世帯」はその前兆だという。
私は、高度経済成長と核家族化の流れにのって大家族から飛び出し、近くに血縁者のいない街で仕事に就き、結婚して子どもを育てた。
そのころ、つまりまだ20代後半のころ、核家族は「生存の危機」と隣り合わせである、といった意味のことを識者が新聞に書いていた。
識者の名前は忘れたが、生存の危機という言葉はずっと胸にあった。若いころは観念にすぎなかったが、年をとった今は、それが現実になりつつある。
老老世帯である。どちらか一方が病気になって何日か寝たままになったとする。「『お年寄りは三日間寝込んだだけでも、寝たきり、認知症予備軍になりかねない』とはリハビリを担う専門家の常識」と同書にある。
現実問題としてよくわかる。で、今はトイレに行ったら、必ず階段を利用して足の屈伸運動をする。危機は足からくるからだ。
それも含めて、老老世帯のどちらかが欠けて、ひとり暮らしになり、やがてひとりで死を迎える――今は生存の危機をそんなイメージでとらえている。
こんなくだりもあった。「『自助』より制度の見直しだ。あまつさえ『裏金問題』が表面化し政治家の姿勢が問われているいま、『政党が
先に公助を 受けている』が正鵠(せいこく)を得ている」
総選挙が終わったばかりだけに、この川柳(作者名は省略)は妙に納得がいく。川柳もまたいい脳トレにはちがいない。
0 件のコメント:
コメントを投稿