子どもが小さかったころ、大人も一緒になって遊んだ。いや、逆か。大人はしょっちゅう、街で酒を飲んでいた。たまり場があった。
で、罪滅ぼしを兼ねて家で飲み会をする。その際、子どもたちも呼んで自由に遊ばせる――。
たとえば、夏。狭いわが家で「カツオパーティー」を開く。大人はアルコールと雑談にふけり、子どもたちは食事をして、庭で線香花火をしたり、別の部屋で絵本を読んだりした。
画家や陶芸家、書家、新聞記者、市職員、カミサンのPTA仲間と子どもたち、総勢30人前後が居間と庭を行ったり来たりした。
あるときは、ハマに近い友人の家で「タケノコパーティー」を開いた。やはり大人は酒を飲み、子どもたちはそばで遊び回った。
張り替えを予定していた押入の襖(ふすま)をキャンバスにしたこともある。「さあ、なにを描いてもいいぞ」。号令をかけると、子どもたちは自由に筆を動かした。
襖の落書きは大人もやった。新しく建てられた友人の家で飲み会が開かれたとき、無地の襖に画家が墨で絵を描き、私も即興で1行詩をつくり、書家がそれを絵に書き添えた。
アルコール抜きで合作をしたこともある。2点が額装されてわが家にある。そのうちの1点、色紙が東日本大震災で倒れ、ガラスにひびが入った。
それを先日、カミサンが額縁・画材専門店に持っていった。飾っておいたわけでもないので、そのまま放置していたが、家の中を片付けているうちに取り換える気になったのだろう。
若いころ、取材を兼ねて草野美術ホールに出入りした。美術ホールは、今はない。画家や書家とはそこで出会った。彼らを介して額縁・画材専門店の経営者とも知り合った。
カミサンが店を訪ねると、ガラスではなくアクリル板を勧められた。額縁に合わせてカットするので少し時間がかかる。
連絡がきて、カミサンのアッシー君を務めた。応対した女性と色紙の作者の話になったそうだ。
灰色の空と、葉を落とした雑木の雪山、そのふもとを人間が一人歩いている――。シンプルだが静かで深遠な感じのする絵だ=写真。作者は画家の故松田松雄(敬称略、以下同じ)。
文字は「金木犀の匂いと/駄菓子屋と/青白いシリウス/人は気圏の底に/うごめいて/中秋/立待ちの月」。絵とは季節感がずれるが、私がつくり、書家の田辺碩聲(せきせい)が筆を執った。
画材店にとっては、松田は特に親しい存在だったようだ。同店で絵画教室のようなこともしていたのではなかったか。書家もまた書道教室を開いていたような記憶がある。
女性は松田から私のことを聞いていたそうだ。「この詩をつくった人は……」となって、「私の夫です」。カミサンが応じた。
アナーキーといえば、アナーキーな遊びだった。子どもだけでなく、大人にとっても落書きは楽しい。
額装された色紙は、今思えば30代前半までくっついていた青春の抜け殻のようなものだったか。
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