2025年2月5日水曜日

田んぼのハクチョウ

                            
 日曜日には夏井川渓谷にある隠居へ出かける。途中、小川町・三島で夏井川と国道399号(県道小野四倉線)が接する。

そこはハクチョウの飛来地。朝の9時過ぎに通ると、多いときには200羽以上が羽を休めている。

ずっと下流、わが生活圏の夏井川(新川合流部)にもハクチョウが飛来する。もともとは平窪で越冬していたのが、上流の三島、下流の新川合流部にも分散して冬を越すようになった。

堤防を散歩していたころは、冬、ハクチョウ・ウオッチングを日課にしていた。ときどき岸辺にも立った。ドクターストップがかかった今は、車で通りすぎるときだけのウオッチャーでしかない。

新川合流部だけの「通りすがり観察」でいえば、ハクチョウは午前10時過ぎには、あらかた夏井川から姿を消す。

むろん、そうでない日もある。2月4日は昼前、新川合流部に100羽以上、下流のサケやな場(今季はすでに撤去)付近にも100羽以上が休んでいた。

先日は朝9時半ごろ、街へ行くのに堤防を通ったら、小群が飛び立ったばかりだった=写真。

別の日の昼前、夏井川河口の右岸堤防を通ると、屋敷の奥に広がる田んぼでハクチョウがえさをあさっていた。

枯れた二番穂もついばむのかどうか、気まぐれウオッチャーにはわからない。が、そこがえさ場になっていることを初めて知った。

田んぼのハクチョウは、これまで平窪や赤井、神谷のほかに、長友(四倉)方面で見ている。

沿岸部では、夏井川右岸の丘を越えた滑津川流域の田んぼでもえさをついばんでいた。そして今回は、マツ林をはさんで海岸道路と隣り合う下大越の田んぼだ。

ハクチョウたちは夏井川を往来の目安にしているのかもしれない。神谷地区では朝、ハクチョウが「コー、コー」と鳴きながら、それぞれ沿岸部と内陸部の方向に分かれて飛んでいく。

夕方はその逆で、沿岸部と内陸部から新川合流部に戻ってくる。4時半になると、堤防のそばに住むおばさんがえさをやる。その時間も頭に入っているにちがいない。

ありがたいことに、野鳥の会いわき支部から支部報が届く。今はいわきを離れた知人によると、ハクチョウは2005年1478羽、2006年1420羽と、15年ほど前は1400羽を超えていた。

ところが、最近は減少傾向にある。環境省主催の全国一斉ガン・カモ類調査が1月に行われる。

一昨年(2023年)の場合、夏井川ではコハクチョウが平窪35羽、三島255羽、塩・新川365羽の計653羽だった。

去年は、平窪85羽、三島111羽、塩・新川123羽の計319羽と、前年の半分以下だった。

考えられるのは平窪でのえさやり自粛(もうずいぶんたつ)と、暖冬で南下する個体数が減ったことかもしれない、と知人はいう。

令和元年東日本台風からの強じん化工事が続いている。それも関係していると思うのだがどうだろう。

2025年2月4日火曜日

飛行機雲が2本

                      
   1月下旬の日曜日、昼。東の空に旅客機のものらしい飛行機雲が2本、北へ進みながら長く尾を引いていた=写真。

下の飛行機雲がなぜか途中で屈曲している。そこだけ横からの気流が強いようだ。「天空の川」が可視化されたように感じて、パチリとやった。

飛行機雲が同じ方向に2本。航空路としては高度も違えば、距離も離れているのだろう。とはいえ、地上からはかなり接近しているように見えた。

空に何本も飛行機雲が残るときがある。しかし、青いキャンバスの白い線は、交差したり、離れていたりして、平行するようなことはまずない。平行もあり得るのかどうか。写真を撮ったあと、疑問がわいてきた。

平市街の西から北に阿武隈の山々が連なる。その中央、水石山の頂上に「空の灯台」がある。国交省の洋上航空路監視レーダーだ。

これとは別に、阿武隈高地の主峰・大滝根山(1192メートル)の頂上に航空自衛隊のレーダー基地がある。

昭和30(1955)年、大滝根山頂に米軍のレーダー基地ができる。翌年には航空自衛隊の部隊が移動し、3年後の同34年、米軍から航空自衛隊に施設が移管された。

「わが国に侵入する弾道ミサイルや航空機に対して、24時間態勢で警戒監視と戦闘機の要撃管制を実施している」と基地のホームページにある。

北朝鮮のICBM(大陸間弾道ミサイル)も当然、監視警戒の対象になっているということだろう。

防衛省と国交省の違いはあるが、福島の阿武隈の山には空の監視レーダーがふたつある、

東の空に伸びた2本の飛行機雲の本体は、いわき沖、つまり太平洋上を北へ向かっていた旅客機だろう、と想像したところで思考は止まり、そのまま忘れていた。

その後、アメリカで1月29日夜、首都ワシントン近郊の空港付近で旅客機と米軍ヘリが衝突した。

さらに同31日、ニューヨークとワシントンの間にあるフィラデルフィアの北東部で小型機が墜落した。

なんの関連性もないが、多数の死者が出た事故のニュースに触れて、2本の飛行機雲を思い出した。

ほかにも、大きな事故が続く。ロサンゼルスの山火事は3週間余り燃え続け、やっと鎮圧状態になった。日本では埼玉県で道路陥没事故が起きた。転落したトラックの運転手はいまだに救出されずにいる。

文明が発達すればするほど、災害や事故の規模は大きくなる。人間のミスが、それにかかわることもある――。

上空では問題がなくても、地上からは2本の飛行機雲に不安がよぎった。よけいな心配だったかもしれない。が、事故の要因はどこにでも転がっている。あらためてそのことを思った。

2025年2月3日月曜日

臨時休館

                               
   いわき市内には平・小名浜・勿来・常磐・内郷・四倉の6地区に図書館がある。この図書館と2台の移動図書館は図書館情報システムでつながっている。

中核となるのは、平成19(2007)年秋、いわき駅前再開発ビル「ラトブ」の開業と同時に、4~5階にオープンした総合図書館だ。

その総合図書館が2月3日から同25日までの23日間、臨時休館に入った。毎年恒例の「図書整理」のためかと思ったら、違った。ほかの図書館も一斉に休館した。移動図書館も運休するという。

理由は「機器更新」のためだった。そういえば、前にも同じ理由で臨時休館をしている。

自分のブログで確かめると、平成25(2013)年と同31(2019)年がそうだった。ということは、6年ごとに機器更新が行われているのか。

 前回も移動図書館を含めて、全図書館が臨時休館をした。ホームページでの資料検索や予約も一時休止になった。

一斉休館は、東日本大震災のときと、新型コロナウイルス感染症のパンデミックのときにも経験している。

令和3(2021)年のコロナ禍はとりわけこたえた。いわき市内でも感染が急増したため、市は4月24日~5月16日を「感染拡大防止一斉行動」期間として、図書館などの臨時休館を実施した(5月31日まで延長)。

さらに、8月7~22日も公共施設が臨時休館になる。その後、「まん延防止等重点措置」の適用に伴い8月31日、引き続き9月12日、再延長で9月30日まで公共施設の休館が続いた。

さて、2月は図書館へ行っても本を借りられない。逆に、休館前ならほぼ1カ月、借りた本を手元に置いておける。

 というわけで、1月29日に総合図書館から本を4冊借りた=写真。写真に5冊写っているのは、返却日を確認するために持ち込んだのが1冊あったからだ。

マイケル・ウィランド/林裕美子訳『砂――文明と自然』(築地書館、2011年)で、飛び飛びに読んでいたら、埼玉県八潮市で道路陥没事故が起きた。

返却日は休館が終わって最初の日だったのでそのまま持ち帰り、砂の特徴や性質をじっくり読み込むことにした。

新たに借りた本は、著者と書名だけいうと、DJ・ベアリング『植生と大気の4億年』、イザベラ・トゥリー『英国貴族、領地を野生に戻す』、内藤陽介『蛇の文化史』、藤川幸之助『手をつないで見上げた空は』(詩集)だ。

ぎりぎり2月2日の日曜日、「どうせなら」とまた図書館へ行った。1人が借りられるのは15冊までで、この日借りた分を含めて、臨時休館中は合わせて10冊をとっかえひっかえ読むことにする。

2025年2月1日土曜日

心のサビ

                  
  年が改まって1カ月がたつ。暮れの12月28日と年明けの1月4日が土曜日だったこともあって、職種によっては年末年始休が9日間になった。

 そのあとすぐ3連休がきた。正月から日常へと気持ちが切り替わるまでに少し時間のかかる人もいたことだろう。

 毎日が日曜日で月曜日のシニアにも、それなりに用がある。糠床の世話と白菜漬けの取り出し、風呂当番、カミサンや孫のアッシー君……。それに区内会その他の行事が加わる。

 1月中旬には自主防災組織の研修会が開かれた。東北大学災害科学国際研究所の柴山明寛准教授、福島テレビ専属気象予報士の斎藤恭紀さんが講演し、さらに市長らが登壇して、地域の防災活動について話し合った=写真。

 下旬には隣接する地区の区長協議会との交流会(新年会)があった。翌日は知人の告別式のあと、いわき地球市民フェスティバル(外国にルーツを持つ市民によるスピーチコンテスト)に、審査員の一人として加わった。

 「人には添うてみよ」という言葉がある。通りいっぺんのあいさつで終わるのではなく、少し突っ込んで話すと蒙が啓(ひら)かれる。大事なことを再確認する。

 フェスティバルで、それこそ何年ぶりかで顔を合わせた知人がいる。おたがい出歩かなくなったことを報告したあと、「キョウヨウとキョウイク」の話で盛り上がった。

 「キョウヨウ」は「今日、用事がある」、「キョウイク」は「今日、行くところがある」で、知人もその言葉の意味を承知していた。

毎日なんの用事もなく、行くところもない――シニアにはこれがよろしくない、ということで一致した。

キョウヨウとキョウイクは、その意味では社会とつながること、孤立ではなく、他者との関係を維持すること、という教訓でもある。

それはそれでわずらわしい。しかし、24時間がすべて自分の自由時間なのはいいが、朝起きて寝るまでボケッと過ごしていたのでは認知機能が低下する。

人とかかわるのは、確かにわずらわしい。しかし、そのわずらわしさこそが脳活の基本ではないだろうか。

交流会ではいい言葉を聞いた。「刃物のサビ(錆)は砥石で落とす、心のサビは会話で落とす」

心のサビとは、胸中にわだかまる汚れや迷い、雑念のことだ。それを落としてくれるのは人との交流と対話である、という意味だろう。

「身から出た錆」ということわざがある。この「身」は刀身の「身」で、それに「わが身」の「身」を重ね、金属の「錆」にわが行いの「過失」、あるいは心の汚れや迷い、雑念をかけたものらしい。

 まずはこの言葉を忘れないようにする。そう思ってから何日もたたない日、食卓にもらい物のイチゴが出た。

「きょうはなんの日だかわかる?」。ん⁉ 結婚記念日を忘れていた。そんなことも含めると、心のサビはかなり厚いというべきか。