2025年2月18日火曜日

木の枝が散乱

                     
 日曜日(2月16日)は朝9時ごろから1時間余り、夏井川渓谷の隠居で過ごした。晴れて風が弱いためか、外にいても寒さは感じない。むしろ背中が春の光でポカポカしてくるようだった。

室温は4度。生ごみを埋めたらすぐ帰るので、石油ストーブはつけなかった。それでも寒さは気にならない。

庭に木製のテーブルが置いてある。丸太の脚に2カ所、角材を渡し、それを支えにして板が3枚置いてある。その1枚がひっくり返って、隣の板にのっかっていた。

 板といっても厚みがある。年寄り一人では持ちあげるのがやっと、という代物だ。それを簡単にひっくり返せるのは、と考えて思い当たった。木曜日(2月13日)の暴風にちがいない。

 木曜日は早朝から風が強まり、午後1時過ぎにはうなり声をあげて吹き荒れた。気象台の観測によれば、小名浜では午後1時40分に最大瞬間風速32.3メートルを記録した。この日、日本列島で一番強い風だったという。

 県道をはさんで隠居の向かい側にあるカエデの木も、あらかた枝が消えていた=写真。

 このカエデは、幹にサルノコシカケに似た木材腐朽菌が発生し、ほぼ立ち枯れ状態だった。

 そこへ強風が吹き続けたために、横に張り出していた太い枝ごと折れたのだろう。かたわらに、落ちた枝がまとめて置いてあった。

そういえば、渓谷の道路の端にはやたらと枯れ枝が散乱していた。途中から幹が折れている木もあった。

倒木による影響は? あとで検索を続けると、渓谷の県道が倒木で一時通行止めになった、という記事に出合った。

場所は、しかも隠居のある牛小川地内だ。隠居まではそれらしい跡はなかった。市川前支所が投稿した倒木の写真を手がかりに探ると――。

牛小川の集落を少し過ぎたあたり、谷側の県道沿いに遭難碑と六地蔵が立っている。

昭和10(1935)年秋、豪雨で山の岩石・土砂が崩れ落ち、線路が消えたところへ郡山からの列車が突っ込んだ。

機関車や客車など4両が脱線し、県道と下の河原に転落、12人が死亡、50人が負傷した。

その線路には、落石防止用のロックシェッドが設けられている。倒木が除去され、通行が可能になった県道の写真(やはり川前支所が撮影)の奥に、このロックシェッドが写っていた。

それで事故現場がわかった。谷側に生えていたモミらしい常緑樹が折れ、道をふさいだ。最初の写真は川前側から撮り、復旧後は逆に小川側から撮った。

それはそれとして、渓谷にあるナラ枯れの大木も要注意だ。牛小川からマチへ戻る途中に、幹にキノコが生えて立ち枯れたままの大木がある。

この大木も先端はかなり枝が吹き飛ばされたようだ。木々がまだ冬の眠りについている今、そこだけ少し空が広くなっていた。

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