2025年2月1日土曜日

心のサビ

                  
  年が改まって1カ月がたつ。暮れの12月28日と年明けの1月4日が土曜日だったこともあって、職種によっては年末年始休が9日間になった。

 そのあとすぐ3連休がきた。正月から日常へと気持ちが切り替わるまでに少し時間のかかる人もいたことだろう。

 毎日が日曜日で月曜日のシニアにも、それなりに用がある。糠床の世話と白菜漬けの取り出し、風呂当番、カミサンや孫のアッシー君……。それに区内会その他の行事が加わる。

 1月中旬には自主防災組織の研修会が開かれた。東北大学災害科学国際研究所の柴山明寛准教授、福島テレビ専属気象予報士の斎藤恭紀さんが講演し、さらに市長らが登壇して、地域の防災活動について話し合った=写真。

 下旬には隣接する地区の区長協議会との交流会(新年会)があった。翌日は知人の告別式のあと、いわき地球市民フェスティバル(外国にルーツを持つ市民によるスピーチコンテスト)に、審査員の一人として加わった。

 「人には添うてみよ」という言葉がある。通りいっぺんのあいさつで終わるのではなく、少し突っ込んで話すと蒙が啓(ひら)かれる。大事なことを再確認する。

 フェスティバルで、それこそ何年ぶりかで顔を合わせた知人がいる。おたがい出歩かなくなったことを報告したあと、「キョウヨウとキョウイク」の話で盛り上がった。

 「キョウヨウ」は「今日、用事がある」、「キョウイク」は「今日、行くところがある」で、知人もその言葉の意味を承知していた。

毎日なんの用事もなく、行くところもない――シニアにはこれがよろしくない、ということで一致した。

キョウヨウとキョウイクは、その意味では社会とつながること、孤立ではなく、他者との関係を維持すること、という教訓でもある。

それはそれでわずらわしい。しかし、24時間がすべて自分の自由時間なのはいいが、朝起きて寝るまでボケッと過ごしていたのでは認知機能が低下する。

人とかかわるのは、確かにわずらわしい。しかし、そのわずらわしさこそが脳活の基本ではないだろうか。

交流会ではいい言葉を聞いた。「刃物のサビ(錆)は砥石で落とす、心のサビは会話で落とす」

心のサビとは、胸中にわだかまる汚れや迷い、雑念のことだ。それを落としてくれるのは人との交流と対話である、という意味だろう。

「身から出た錆」ということわざがある。この「身」は刀身の「身」で、それに「わが身」の「身」を重ね、金属の「錆」にわが行いの「過失」、あるいは心の汚れや迷い、雑念をかけたものらしい。

 まずはこの言葉を忘れないようにする。そう思ってから何日もたたない日、食卓にもらい物のイチゴが出た。

「きょうはなんの日だかわかる?」。ん⁉ 結婚記念日を忘れていた。そんなことも含めると、心のサビはかなり厚いというべきか。

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