2010年10月31日日曜日

雨の森


雨が降れば、こうもり傘をさして森へ入る。無量庵のある夏井川渓谷だけではない。わが家に近い里山でも、ときどきそうする。あくまでも、ときどきだ。嵐になれば、そんなことはしない。どころか、できない。風がなくて、しとしと雨が降り注ぐとき――だけの気まぐれ。

森を巡るのは、基本的には「観察」のためだ。野草・樹木・キノコ・野鳥……。なんでもいい、人間以外の情報を自然から得たい――それで、雨の日にも森へ入る。そして、あればだがついでに食材を手に入れる。

哲学者の内山節さんの本に触発されて、自然と人間の関係を考え続けようと思ってきた人間には、活字になった「教科書」ほど役に立たないものはない。一般論としては分かる。が、いわきは、あるいはほかの土地もそうだろうが、まったく一般論に当てはまらないのだ。いわきそのものが広すぎて、自然を単純に論じられないこともある。

きのう(10月30日)は台風に前線が刺激されたのか、朝から雨だった。週末だが、雨。人間は森には入り込まないだろう。そこが狙い目で、「キノコがオレを呼んでいる」気になって、近くの里山へ車を走らせた。

結果を言えば、空振りに近かった。先日採集したコケイロヌメリガサを2本、ウスヒラタケを多少、そして今までは無視していたがモリノカレバタケを少し採った。しかし、キノコのことはどうでもいい。

雨の森には雨の森のおもしろさがある。雨の夏井川渓谷を歩いた日、道端のコケが先っちょから水滴を滴らせていた=写真。雨水を吸いきれなくなって表面をすべらせている、そんな印象を持った。森を構成するものたちのドラマの一部だ。それはささいなことではない。森の営みの、重要な一こま。森の営みは人間の想像以上に深いのだ。

晴れの森、曇りの森、雨の森は、まあ歩いて頭に入っている。夜の森は今のところ、体験しようという気になれない。夜の闇は、マツタケを採らない私には怖いのだ(マツタケ採りのプロは真夜中に入山するとか)。無量庵では、ツキヨタケが光るのを見たいとは思いながらも、〈オレは山男の辻まことではない〉と言い訳をして、さっさと眠りに就く。

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