2010年11月1日月曜日
選挙
きのう(10月31日)の朝、福島県知事選の投票へ行ったあと、遠出した。投票所は平六小体育館=写真。夏の参院選は体育館が改修中だったので、学校とは道をはさんではす向かいの神谷公民館で投票がおこなわれた。
昨年までは期日前に投票をすませた。が、政権交代の「興奮」がさめたら、政治の「迷走」がはじまった。参院選は悶々として投票日を迎えた。今回はどうか。知事選よりも、いわき地域学會のイベント(「じゃんがら」講座と伝承祭り)に頭がいっぱいで、期日前投票どころではなかった。棄権してもいいか。そんなレベルまで意識がゆるくなった。
それで思い出したことがある。『草野心平日記』をざらっと読んだ限り、心平は選挙にはいかなかったようだ。つまり、棄権派。ところが、昭和30(1955)年4月の仙台市長選には、弁護士島野武の応援に出かけている。
その年、4月26日の心平の日記。「夜、仙台の労働会館で島野武候補の応援演説、杉山元治郎、宮城タマヨなどと一緒、終って炉ばたに行きのむ、こけし旅館に泊る」。
戦時中、心平は南京政府顧問をしていた。島野武の兄(門屋博)も同じ顧問だった。その縁で交流があったのだろう。
杉山元治郎は昭和30年当時、衆院副議長。宮城タマヨは参院議員。島野武は、そのときは落選する。しかし、開票事務に不正があったため、3年後にやり直し選挙が行われ、初当選をする。以来、7期27年間、仙台市長を務めた。
心平のサマーハウスともいうべき川内村の天山文庫では、7月に「天山祭り」が開かれる。『草野心平日記』を読む限り、島野武市長は毎年、祝電をおくっている。
「炉ばた」についてはちょっと説明がいる。経営者は天江富弥(1899-1984年)。大正時代、スズキヘキらと童謡専門誌「おてんとさん」を創刊した。こけし研究家、郷土史家としても知られた存在だったらしい。山村暮鳥とつながり、草野心平とも交流があった。
東北の詩人(のちに全国の詩人が対象になる)を顕彰する仙台市の土井晩翠賞は昭和35年、天江富弥と草野心平の交流から実現したという。仙台市長はすでに島野武だった。このトリオが賞を創設した、といってもいいのではないか。同賞は2009年、50年の節目をもって役目を終えた。
ついでにいえば、杉山元治郎は若いとき、牧師として福島県・浜通りの小高町に赴任した。小高町の開拓農民平田良衛は旧制二高時代、門屋博と同級だった。平田の最初の妻は磐城平の弁護士新田目善次郎の長女だった(彼女と娘は終戦の年の4月、中国から帰国中、船が撃沈されて死亡)。
いわきの「大正ロマン・昭和モダン」を調べているうちに、以上のようなことも視野に入ってきた。
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