2011年9月30日金曜日

民具救出作戦


3・11に津波被害を受けたいわき市平豊間地区では、今も家屋の解体作業が続いている。きのう(9月29日)夕方、解体の迫っているある家を訪ねた=写真

旧家で、大谷石の蔵は無事だった。中に民具がいっぱいある。所有者の許可を得て、豊間の知人が市暮らしの伝承郷に連絡した。伝承郷の事業懇談会委員をしているカミサンにも声がかかった。伝承郷に必要な民具を救出しよう、というわけだ。所有者は首都圏に避難していていない。

知人は大工さんだ。宮大工だった父親がその家の神棚を製作した。長さが2間。とてつもなく大きい。それだけの財力があり、家の造りにも贅を尽くした、ということだろう。

文化財級の神棚だが、家もろとも解体されれば一巻の終わり。知人は早々と父親の技が凝縮された神棚を救出していた。津波被害に遭って、住めないけれども自宅兼作業場に保管してある。

伝承郷の面々とカミサンは蔵から必要な民具を取り出したあと、母屋をチェックした。同じころ、庭木を始末するためにバックホーが庭に入ってきた。小型ダンプカーも入ってきた。バックホーのオペレーターが言った。「あした(9月30日)は家を解体するから」。<物を取り出すのは今日が最後だよ>ということだろう。

西側隣地との境にイブキその他の木が植えてある。それを、バックホーの鋼鉄のツメがバキバキ折ってはがしていく。たちまち根っこが引っこ抜かれる。木が悲鳴を上げている、そんな印象を受けた。

そのうち、子どもが幼稚園で一緒だった旧知の女性がやって来た。女性の夫はカミサンの同級生。その姉さん(所有者)が嫁いだ家だった。奇遇だ。姉さんは私らがよく知っている女性たちの同級生であることもわかった。

雨戸の戸袋は銅板葺きだった。屋根の一部もそうだった。とっくに消えていたという。誰かがはぎとって換金したに違いない。

家具があり、食器がそろっていて、寝具やアルバムが残っている。ほとんど暮らしていたままの状態で解体される。3・11を境にして日常が壊れ、日常を営んでいた家が永遠に消えてなくなる。

家の前はあらかた更地になっている。海が近い。波しぶきが散っている。家並みに隠れて見えなかった海がすぐそこに見える不安、恐怖。それが解体に拍車をかけている、ということもあろう。

東側の隣地の境をふと見ると、ハクモクレンと思われる庭木が狂い咲きをしていた。この木もきょう、根こそぎ折られることになる。

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