知人が来て雑談になった。話はあっちに飛び、こっちに戻り、またあっちに転がりして、とめどがない。放射線量や食べ物の話が出るのはいつものこと。野菜の種=写真=が売れないと、カミサンが明かす。私自身、種を買わなくなった。そういう人間が3・11後に増えた、ということだろう。
夏井川渓谷の無量庵に小さな菜園がある。自家消費をするだけだから、ナスやキュウリの苗は2~3本あればいい。サヤエンドウのうねも畳半分くらいで十分。「少量多品種」が家庭菜園の特徴だ。
が、それは3・11前の話。去年も、今年も自家採種をしている三春ネギ以外、栽培を中止した。菜園も半分ほど草に覆われたままだ。私の例を持ち出すまでもなく、「種が売れない」のは土が放射性物質で汚染されたためだ。
今は白菜や大根の播種期。白菜を育てようとすれば、直まきかポット苗を定植しないといけない。その前にうねを耕し、石灰を施し、肥料をすき込む必要がある。周到な準備もまた楽しい。お年寄りには、家庭菜園は無理なく体を動かせる運動場、生きがいの場でもある。
その基である種が売れないということは、つまり、家庭菜園を続けるお年寄りが減ったということだ。野菜をつくる楽しみが、生きがいが奪われたということだ。すると、お年寄りは不活発になる。不活発になるとどうなるか。いやいや、それ以上は考えないことにしよう。
一般的な話としては、こういえる。3・11前までは、ジイバアが丹精して育てた野菜を子や孫たちが食べていた。ジイバアは今も野菜を作っているが、子や孫たちはそれを食べない。野菜の種が売れない裏には、ジイバアの深い悲しみと怒りが充満している。
1 件のコメント:
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原発震災後、自分で作った野菜を子供、孫、親戚、友人などに楽しみで配っていた贈与経済的なものがここいわきでは崩壊しているという指摘があります。その裏付けになりますね。
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