普通の月曜日だろうとハッピーマンデーだろうと、朝起きたらまず保管しているごみネットを家の前の集積所に出して、ひもを電柱にくくりつける。
わが区は月・木曜日が「燃やすごみの日」だ。カラスに負けないためにはごみ袋をネットできちんと覆うことだが、人間はある意味いい加減な生き物だ。ちょっとでもスキを見せると、カラスに生ごみを食い散らかされる。
きのう(7月18日)は「海の日」。連休とはいっても、仕事はいつのまにかやってきて、絶えず二つ、三つ、締め切りを抱えることになる。早朝、ごみネットを出したからあとは自由、とはならない。午前と午後、一服をはさみながらも、夕方まで仕事を続けた。
早朝は曇りだったがすぐ日が差し、午後の3時近くになって気温のヤマがきた。小名浜(旧測候所)で最高気温30.3度と、真夏日になった。それもあってか、カミサンが夕方、タイミングよく、買い物を兼ねて海へ行こう、という。気分転換をしたいところだったので、喜んで車を走らせた。
行き先は四倉のホームセンターだ。大回りして、夏井川堤防~新舞子海岸~四倉海水浴場・道の駅よつくら港を巡ってから、ホームセンターで買い物をした。
震災前は夏井川河口まで、海へ行ったりバードウオッチングをしたりするのによく堤防を利用した。災後はかさ上げ工事が行われていたので、ほとんど利用できなかった。左岸はあらかた工事が済んだようだ。「ずいぶん堤防が高くなったんじゃないの」とカミサン。
新舞子海岸は、海が全く見えない。かさ上げ工事の終わった海岸堤防に立つ。夕涼み、いや暑気を払うためにやって来た人たちが海を見ている。海は凪(な)いでいた。「何事もなかったようにきれいだね」。その海に釣り糸を投げ込む人が海側の消波ブロックの上にいた。
四倉海水浴場=写真=では、入り込み客を数えてみた。一定の人数(たとえば50人)を数えて、あとはそのかたまりがいくつあるか見当をつけて全体を計る。夕方5時でも、ざっと400人はいたのではないだろうか。
道の駅は、相変わらず好調のようだった。2年前、バングラデシュの地方行政・農村開発・協同組合省の幹部らがいわき市を視察した。「シャプラニール=市民による海外協力の会」の前事務局長氏がスケジュールを調整し、ベンガル語の通訳を兼ねて一行を案内した。連絡を受けて、薄磯・豊間・四倉への道案内をした。
一行は道の駅で運営する団体の代表・駅長に、農家(生産者)との関係などを質問した。「生産者が直接品物を搬入する」「値段は生産者が決める」「震災前より客が増えた」。そばで聞いていながら、災後に客足が伸びた例は少ないのではないかと思ったものだ。
密生していた新舞子海岸の松林は、津波による塩害で疎林状態になった。その松林を再生する活動も続けられている。「海の日」にたまたま海を見に行ったのは、海岸の今の風景を目に焼きつけるためでもある。次に行ったらまた風景が変わっている――それが今のいわきの沿岸部だ。
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